霧の空 霞の原

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 次に目が覚めると、まだ気分はもやもやしていたけど、前よりかはすっきりとしていた。
「まだ、時間はある。移転の術が完成するまで、だけど……」
 かみ締めるようにつぶやく。勢いよくベッドから起き上がると、鐘が鳴り響いた。朝なのかと窓の外を眺めても、そんな時間はとっくに過ぎ去っていた。
「な、なんで?」
 と、どこからとも無くマフォリナの声が聞こえてきた。
「リカ、起きているか?」
「あ、マフォリナ。おはよー」
 あたしはとりあえず、天井に向かって声を出してみた。
「よし、起きてるな。リカ、来客だ。すぐに服を着替えて玄関ホールまで来てくれ」
「はぁーい」


 着替えを済ませ、玄関ホールにたどり着くと、ふたつの人影が見えた。近づくにつれ、人影が輪郭を持ち、誰か認識した。
「おはよ、マフォリナ」
「あぁ、おはよう。リカ、ラインとは顔見知りか?」
「うん。お兄さん、おはようございまーす」
「やぁ、お嬢さん。元気にしていたかい?」
 お兄さんは会ったときと変わりない、にっこりスマイルで迎えてくれた。
「はい。マフォリナが良くしてくれるから、全然平気です」
「ほぉ、マフォリナが? 珍しいね」
 ちょっとお兄さんの声に剣呑な雰囲気が混じる。でも、それも一瞬のことで、瞬間的に戻っていた。
「お前に言われたくない。それよりも今日はどうした。リカに会わせろ、だなんて……」
「決まっているじゃないか、お嬢さんとお茶をするためだよ。もちろん、ふたりっきり、で」
 お兄さんは最後の言葉にまるで特別な意味を込めるかのように、意味ありげに微笑みながら言った。
「はい!?」
 マフォリナは眉間をしかめ、あたしは盛大に驚いた。


「ごめんごめん、びっくりしたかい?」
 今、あたしはお兄さん……ラインさんとお茶してる。
「そ、そりゃびっくりしますよ」
 ラインさんからあたしに何か伝えることがあるから、だそうな。
「それで、伝えることって?」
 お茶を一口すすり、呼吸を一つおき、ラインさんは口を開いた。
「お嬢さん、ずばり還りたくなくなってきてない?」
 危うくあたしは手に持っていたカップを落としそうになってしまった。それぐらいびっくりしてしまったから。でも、まだあたしは図星を指されるほど、自分の気持ちを理解していなかった。
「え、ど、どうして?」
「決定的。動揺してるでしょ」
「し、してないですよ」
「いいや、してるね」
 妙に決定的なラインさんの物言いに思わずカチンときてしまった。
「さっきから何なんですか! 妙に決め付けるし、あたしが……か、帰りたがらないなんて!」
 どうしてこんなにムキになっているんだろう。あぁ、まただ。また、あのモヤモヤが……
「お嬢さん、落ち着いて。誰もそれが悪いだなんて言ってないよ」
「……はい、落ち着きます」
 手に持ったままのカップをそのまま口に運ぶ。でも、腕が錆付いたみたいに上手く動かない。カップが唇に着いた頃には、喉がカラカラに渇いていた。
「マフォリナから相談されてね」
 ラインさんは唐突に話し始めた。
「無愛想な書簡だったからどんなに慌ててるのかは知らないけど、ね。今までどんな難題を抱えていたって、あいつは私に相談なんかしてこなかったんだ。いつもひとりで解決していたんだ……。マフォリナと私はね、同じ師を仰ぎ、共に術を習得した仲なんだ。他の術師連中なんかより、近しい存在のはずなのに、師にも私にもまったく頼ろうとしなかったんだ」
 あたしはどう答えていいかわからなかった。ただ聴いているだけで精一杯だった。
「それが今回、お嬢さんのおかげでマフォリナに初めて相談されてね、不本意ながら喜んでしまったよ」


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