霧の空 霞の原

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「さて、準備はいいかい? まずは手本を見せるから」
 マフォリナはそうひと言告げてから、目の前のグラスに手をかざした。すると、瞬間、グラスがマフォリナの目の前から消え、私の手元へ姿を現した。
「ふおぉっ、これを今からあたしが……?」
「そうだ、物質移転の術だ。これから理論を説明するからしっかり理解するように」
 マフォリナは身振り手振りでどういう風にエネルギーが伝わって、どういう風な現象が起こるかを小難しく、でも、解り易く教えてくれた。
「最初からあまり長距離移動させようと思わないこと。少しでも、確実に移動させることを身体で覚えるんだ。そして常に思い描くんだ、移動した後の姿を」
 マフォリナは心配なのか、自分の研究をそっちのけであたしの練習に付き合ってくれた。それも最初の方だけで、少しでも移動させることが出来るようになったら、すぐさま自分の研究へと戻っていった。あたしはその間、合格ラインである、部屋の端から端までのグラスの一発移動を練習していた。
 それから数日間、あたしはひたすら物質移転の術だとかいう魔法を練習した。マフォリナが言っていたように、ここ数日間の体力の減りは格段に増えた。
 魔法って、こんなに疲れるものだったんだ……。
 そして、物質移転の術を完璧に使いこなせるようになると、次は目の前に無い物を目の前に現わす、という物質出現の術の練習が始まった。これは、今までやっていた物質移転の術の応用らしく、コツを掴むのは簡単だった。手始めに後ろにある物を目の前に、少し離れた所にある物を目の前に、そして隣の部屋にある物を目の前に……と徐々に距離を広め、最終的には屋敷の中の物を屋敷の外へ現わすことまで成功するようになった。
「もう少しかかると推測していたんだが……予想外だな」
「ちょっ、マフォリナそれどういうことよぉー?」
「ん? いや、リカは術の勘が優れているんだろうな、って」
「それ、褒めてくれてるの……?」
「もちろんだ。僕の見る目も落ちたな」
「そんなことないよ! だって、マフォリナはこうしてあたしに魔法を教えてくれているじゃない? それに、あたしの隠れた才能を見つけてくれたわけだし!」
 マフォリナはあたしの言葉のどこかに驚いたのか、目を見開いた。そして、つぶやいた。
「……まったく、光栄だな。さて、次はいよいよ移転の術か」
「移転の術って、あの風が吹いてくる?」
「ああ。……そういえば、嫌いだと言っていたな」
「でも、自分でするのは嫌いじゃないみたい」
「そうなのか? なら、よかった。僕の方も漸く終わりが見えてきたし、リカと僕、どちらが完成させるのが早いかな」
 マフォリナは楽しそうに笑うと、移転の術の解説を始めた。
「移転の術は物質移転の術を自分自身に置き換えて考えるんだ」
「自分に?」
「ああ。最初は難しいだろうが、感じは既に掴んでいるはずだから」
 マフォリナはあたしから少し離れた場所からそう助言をした。
 あたしは目を閉じ、マフォリナに貰った魔術具の雰囲気を自分なりに再現し、自分がここではない別の場所に移動したイメージを持った。僅かながら、足元から風が吹き上げてくる。
 このまま行けぇッ……!!
 でも、風はすぐ止んでしまった。風が止むのと同時に目を開ける。目の前の景色はなんら変わっていなかった。がっくりと肩を落とすあたしの唯一の救いは、マフォリナが顔に落胆の色を浮かべていなかったことだけ。その代わり、頬を紅潮させ、何か興奮していた。
「マフォリナ……?」
「リカ、すごいじゃないかッ! これならすぐに完成するぞ」
「すぐ……?」
「ああ、もちろんだとも! これは僕も急がなきゃな」


 マフォリナの言葉に浮かれすぎた罰なのかな。あたしは物の見事にスランプに陥ってしまった。強く強く想い描いても、風が吹き上げてきても、移転の術は起こらなかった。幾日かが過ぎても、それは変わらなかった。次第にあたしは、進歩しなくなったあたしに憤りを募らせるようになった。
 そんなある日、マフォリナが嬉しそうに報告してきた。
「リカ! 返還の術が完成したぞ!」


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