脳の支配

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 金剛さんを初めて遠目で見つけ、微笑んでもらえたあの日から随分月日が経った。
 わたしの金剛さんへの想いは消えるどころか、さらに大きくふくらんでいた。
 会えなくてもいい。
 そう思ったはずなのに、心は裏腹に金剛さんを欲していた。
 そんな想いを胸に秘め続けて、この街で迎える初めての夏がやってきた。
 今年は街で四年に一度の夏の大祭らしく、今では無二の親友になった英子から祭りのスタッフ募集に一緒に応募しないかと誘われた。
 毎年、夏のこの時期になると、無病息災を祈る夏の祭りが行われるそうだけど、四年に一度の夏の大祭は姫様が直々に無病息災を祈り、神の依り代となって穢れを祓う夏の大祭りだった。
 そして、この夏の大祭は金剛さんが直々に指揮を執り行う唯一の街のイベントだった。
 祭りのスタッフは、割り当てられる仕事の差はあれ、金剛さんと共に時間を過ごすことができるため、毎回抽選になるほどに祭りのスタッフに応募する女の子がいるって英子が憎憎しげに言っていたのは、採用されるように夏の大祭が行われる由宜乃神社で神頼みをしていたときだった。
 街全体はおとぎ話に出てきそうなエキゾチックな雰囲気なのに、こういうところで日本という国にいることを久しぶりに再確認させられた。
 それから一週間後、祭りのスタッフに採用されたと手紙が届いた。
 わたしは嬉しくて舞い上がり、何度も何度もその手紙を読み返した。
 手紙に書かれた大祭中の役割をママに伝えると、頑張ってきなさいと応援してくれた。
 翌日、晴れやかな気分で学校に行くと、クラスメイトは半分ほどしか来ていなかった。
 不思議に思っていると、英子がうきうきしながら教室に入ってきた。
「おっはよー!」
「おはよ、英子」
「お! みえが学校に来てるってことは、みえも採用されたんだねっ」
 英子はそう言いながら抱きついてきた。
「えっ、どういうこと……?」
「ほら、昨日先生から言われたでしょ。明日はほとんどの教科が自習になるって」
 英子の言葉に頷く。
「それは、昨日、祭りスタッフの採用通知が届く日だったからなのよ」
「それと自習とどう関係あるの?」
「大きな声では言えないんだけど……」
 英子はそう前置きをして、声を潜めて続けた。
「採用されなかった子たち、ショックのあまりに次の日、学校休んじゃうのよ」
 英子の言葉に事の大きさに唖然としてしまった。
「隣の高校でもほとんどの子が休んでるみたい。来る途中、他校の制服の子、全然見なかったし」
「そうなんだ……」
「それだけ夏の大祭のスタッフって競争率がスゴいのよ! 来たばっかのみえがスタッフになれるなんて、とんでもなく幸運なんだからね! スタッフは十六歳からハタチまでっていう制限もあるし、それに祭りのスタッフは一生に一度しか経験できないって決まりになっているから……本当にスゴい競争率なんだからね!」
「う、うん」
 英子の重ねられる言葉から改めて採用された嬉しさがこみ上げてきた。
 その嬉しさをかみ締めながら、自習ばかりの授業を過ごした。
「帰り、由宜乃神社寄るからね」
 帰り支度をしていると、英子がそう告げてきた。
「由宜乃神社に? 何か用事あるの?」
「用事って……何のスタッフになったか確認しなくちゃならないでしょうが」
「え……? 英子は手紙にどのスタッフか書いてなかったの?」
「え――どういうこと?」
 英子の目がつりあがった。
「え、あれ。わたしのには、書いて、あったんだけど……」
「何て!?」
 和やかな空気が一変して、痛いくらいに緊張感を孕んだ。
 わたしは英子の強張った表情に恐怖を覚え、とっさに言葉が出てこなかった。
「早く答えなさいよッ!」
「……姫の、側仕え、って……」
「なっ、どうしてッ!? どうして、アンタが、アンタなんかが……姫様の側仕えなんて大役、与えられるのよッ!」
「し、知らない……!」
 英子の口から次々と飛び出す言葉にわたしは首を振るしかなかった。
「アンタなんか……」
 英子は俯き、搾り出すような声を出した。
「英子……? どうし」
「どうして、アンタなんかが……!」
 目の前が真っ暗になった気がした。
 言い放った英子は、初めて話しかけてくれた英子の面影は無く、溢れんばかりの憎悪を瞳に湛え、わたしをにらみつけていた。
「あ……」
 耐えられなかった。
 足がすくみ、体は震え、その場から逃げたい気持ちが溢れた。
「わた、わたし……そんな……」
「今すぐ辞退してきなさいよ……」
「辞退って、そんな……だって割り当てられて」
「アンタにそんな大役、できるわけないでしょうがッ!」
 英子のあまりにもの剣幕に後退ってしまう。
「ほら、早く行くわよ! アンタが姫様の側仕えだなんて、絶対何かの間違いなんだからッ」
 英子は怯えるわたしの腕を掴み、強引に由宜乃神社へと引きずっていった。
「いいえ、間違いではございません」
 すごい剣幕でわたしの姫様の側仕えが間違いだとまくし立てる英子に、由宜乃神社の宮司さんはいたって冷静で応対した。
 英子は顔面を蒼白にし、言葉を失ったかのように黙り込んだ。
「あ、あの!」
 英子のあまりの様子に自分では役者不足だと感じ始めていたわたしは勇気を振り絞って宮司さんに声を掛けた。
「なんでございましょうか」
「このお役目は、辞退することって……可能なんでしょうか」
「申し訳ございませんが、夏の大祭に関することは総て金剛様が総て執り仕切られていることですので、わたくしどもにおっしゃられても……」
 宮司さんのその言葉に英子は再びまくし立てた。
「じゃ、じゃあ。金剛さんに言いに行けばいいのよ! ほら、みえ。金剛さんにできません、って言って来なさいよ!」
 掴みっぱなしの英子の手はわたしの手首をぎりぎりと握り締めた。
 痛みに眉間にしわを寄せていると、後ろで砂利を踏みしめる音が聞こえた。
「僕に何か用かい?」
「金剛さんっ!?」
 金剛さんのいきなりの登場に英子は掴んでいた私の手首を離した。
 離された手首を見てみると、掴まれていた周りがうっすらと赤く染まっていた。
「やあ、君は……確か阪上英子さん、だったね」
「あ、アタシのことを……!?」
「ああ、もちろん。夏の大祭に関わる総ての人のことは把握しているよ」
「じゃ、じゃあ! もちろん、この子のこともご存知ですよね!?」
 英子はそう息まいて言いながら、わたしを金剛さんの方へと押した。
 金剛さんはふわりと微笑みながら頷いた。
「ああ、もちろん。兵頭みえさん、だね」
「そう、そうです! この子、何かの手違いで姫様の側仕えのお役目を与えられたんですけど、この子には無理なんです!」
 英子の言葉に金剛さんはわたしを見つめた。
「そうなのかい?」
「えっと、あの……」
「無理なんですッ!」
 言葉をさえぎるように英子はそう言い切り、わたしの背中をつついた。
 無理だと言え、ということなのだろう。
「む、無理です……」
 英子は引っ越してきて初めてできた友人だった。
 わたしにとっては、一番大事な友人であり、親友だった。
 そんな大切な存在を手放すようなことはしたくなかった。
 金剛さんはわたしの言葉に少し考えるそぶりを見せた。
「……しかし、これはもう決まってしまったことだしな。そうなると、また抽選し直しということになるけれど、それでもいいかい?」
 金剛さんは言葉の後半は英子を見つめていた。
 その言葉に英子は顔を青ざめ、唇をふるふると震わせていた。
「……今のままで、かまいません……」
 その声は英子が出しているとは到底思えない蚊の鳴くような声だった。
 英子の返事に金剛さんは満足げに頷き、わたしを見た。
「それじゃあ、兵頭みえさんはちょっと残ってもらえるかな? 側仕えについて説明しておかなきゃいけないこともあるし、一応同意書にサインしてもらわなきゃいけないからね」
 金剛さんの言葉に英子は目を見開いて驚き、わたしは首をかしげた。
「ああ、阪上英子さんは先に帰ってもらって大丈夫だよ。兵頭みえさんはちゃんと僕が送り届けておくから」
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてわたしだけ……?」
 そう食って掛かろうとした。
「……わかりました。みえのこと、よろしく……お願いします」
 英子はか細く声を出し、金剛さんにお辞儀をして境内の入り口へと引き返していった。
 英子にしては珍しいくらいにおとなしく、静かに引き下がっていった。
「英子……?」
「兵頭みえさん、明日から姫様の側仕えに来てもらって良いかな? 学校やお家の方には僕から言っておくから安心して」


 翌日から夏の大祭に向けての準備が本格的に始まった。
 と言っても、姫様の側仕えのわたしは姫様の傍らで控えているだけだった。
 傍らは傍らでも、姫様のいる部屋の隣の部屋で姫様に用事を頼まれるまで待機して、頼まれたらその用事をこなして、再び待機するというそれだけのお役目だった。
 しかし、四六時中ついていけないらしく、家に帰れる日はほとんどなかった。
 あるとき、姫様に頼まれ夏の大祭で着る予定の衣装を運んでいるとき、スタッフ用に張られたテントの中から話し声が聞こえてきた。
 聞こえてきた声はかつて一番親しくしてくれた友人――英子をはじめとした祭りのスタッフたちの声だった。
「あの子、ここに来てそれほど経っていないくせにどうやって姫様の側仕えなんて大役、手にしたの」
「ちょっと調子に乗ってるよねー!」
「っていうか、あのごわごわ頭で釣り合うとか思ってるわけ!?」
「さーあ? 自分の顔、鏡で見たことないんじゃなーい?」
 高らかに笑いあう声がテントの中から漏れてくる。
 わたしは血の気がさがり、ふらふらと後退ったそのとき、誰かにぶつかってしまった。
「危ないよ」
「ご、ごめんなさ……!」
 謝りつつ後ろを振り返ると、そこには金剛さんがいた。
 驚きのあまりバランスを崩して倒れそうになるわたしを金剛さんは受け止めてくれた。
 そして、ふんわりと花が開くように微笑み、どうしたのかと問いかけてきた。
 金剛さんの微笑みに安心したのか、わたしはついに感情を抑えきれなくなってしまい、あふれ出た涙が頬を伝った。
「ここでは気づかれてしまうな。少し落ち着ける場所に移動してもいいかい?」
 金剛さんの優しい言葉にわたしはただ溢れる涙のままに頷くことしかできなかった。


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