脳の支配

戻ル | 進ム | 目次


 翌朝、いつもより早く目が覚めた。
 引越しの疲れが溜まっていたのか、ぐっすりと眠り、爽快な朝を迎えていた。
 顔を洗って歯を磨き、新しい制服に袖を通した。
 神妙な儀式を受けているみたいに、妙にドキドキした。
 朝ごはんはいつものようにママが作ってくれて、非日常の連続の中で日常を感じた瞬間だった。
 友だちはできるだろうか、勉強はついて行けるだろうか、迷わないでたどりつくことができるだろうか。
 そんなことを頭の中でぐるぐると考えながら、パパに書いてもらった高校への地図を見ながら歩いていると、今身につけている制服と同じ制服を来た高校生をちらほらと見かけ始めた。
 安心したのと同時に、奇妙な居心地の悪さを感じた。
 なぜか皆が皆、わたしを見つめている。
 無遠慮なまでにじろじろと見つめてくる人からチラチラと横目で見てくる人とその様子はさまざまだった。
 あまりにも居心地が悪かったけれども、外から来た人間が珍しいのかと自分を納得させることにした。
「アンタがこの街に新しくやってきたっていう兵頭みえサン?」
 声は突然後ろから聞こえてきた。
 驚きながらも振り返ると、同じ制服に身を包んだ女子高生が立っていた。
「そうですけど……どうして名前を?」
 疑問に思っていることを口に出してみると、思い切りの力で肩を叩かれた。
「なぁーに寝ぼけたこと言ってんのよ! 街中の噂になってるって! ほら、みーんなアンタのこと、見てるじゃない」
「い、痛い……。噂?」
「そうよ。噂って言うほど大げさなもんじゃないけどね。ほら、この土地って外から人が来るってことが珍しいのよ。まァ、みんなアンタが兵頭みえってことは知ってるわよ」
 気さくに話し続けるこの女子高生にわたしは面食らってしまった。
 初対面ではどうしても物怖じしてしまう性格のわたしには、彼女が眩しく映った。
「あ。アタシの名前は英子。阪上英子よ。同じ学校でしょ? よろしくね」
「あ、はい。兵頭みえです。こちらこそお願いします」
 ぺこりと頭を下げると、ものすごく笑われた。
「ちょっとちょっと! アンタ硬過ぎ! アタシたち、同い年なんだからタメ口でいーって! アタシのことは英子って呼び捨てでいいからねっ。アタシもみえって呼ぶし」
 英子の勢いに戸惑いながらも、わたしは彼女のペースに巻き込まれていく楽しさを感じていた。
 昨日越してきたことは街中知っているらしく、英子はわたしに質問するのではなく、自分のことを教えてくれた。
 英子は、わたしの家からは十五分ほど離れたところに住んでいて、六つ歳の離れたお姉ちゃんがひとりいるらしい。
 趣味はおしゃべりで、ずーっとしゃべっていて授業中によく怒られているらしい。
 それから、憧れている人がいることも教えてくれた。
 偶然同じクラスということもあったけれども、英子とわたしはすぐに仲良くなった。
 ちょっと強引だけど、ちょっとしたことも気にかけてくれる英子のおかげで、わたしは慣れない環境や周囲に馴染むことができた。
 徐々に学校の雰囲気にも慣れ、友人も増えていった。
 自然と友人たちと接することができるようになった頃、英子をはじめとした友人たちの会話の中に姫様と呼ばれている人物とナイト様と呼ばれている人物が頻繁に出てくるようになった。
 誰なのか検討もつかないわたしは、首を傾げるしかなかった。
 そんなわたしの様子に気づいた友人たちが教えてくれた。
「みえちゃんはここで育ってないから知らなかったっけ。姫様っていうのはね、この街の象徴みたいな人、かな」
「象徴?」
「うちのじいちゃんが言ってたんだけど、夏の大祭のときは神の依り代になるらしいよ」
「より、しろ?」
「うん、らしいよー。しかも、大祭じゃないとなっかなか姫様見れないし!」
「そうそう! ああ、アタシも姫様に間近でお会いしてみたいわぁ」
「英子が会いたいのは姫様じゃなくて、その隣の金剛さんでしょうが!」
「あは、バレた?」
「金剛、さん……?」
 友人たちの言葉でも理解することができず、わたしは再び首を傾げるしかなかった。
「金剛さんはねぇ、姫様の隣で姫様を守ってるボディガードみたいかな!」
「ボディガード? どうして?」
「姫様は昔この土地に降りてこられた豊穣の女神さまの気をまとう役目の人なの。だから、悪い鬼からその身を護るために金剛さんがいつも護っているってわけ!」
「ふぅーん」
「ところで、みえも金剛さんのことを知ったことだし、今日の放課後、いつもの場所行っちゃう?」
「ああ、金剛さんが時々現れるっていうあの通り?」
「もっちろーん! それに、あの近くに新しいクレープ屋が出来たらしいよ!」
「クレープ屋っ? 行く行くー!」
「みえちゃんも行く?」
 話のなりゆきを見守っていたわたしは、必死に頷くことしかできなかった。
 姫様に金剛さん……一体どういう人たちなんだろう。


 わたしは先行く友人たちの背中を見つめながら、姫様と金剛さんについて思考をめぐらせていた。
「そっか、みえはまだ見たことないんだっけ」
 ついさっきまで前を歩く友人たちと金剛さんについてはしゃいで語っていた英子がすぐ隣に来ていた。
「うん。どんな人たちなの?」
「うーん、人じゃないくらい別格」
「べ、別格?」
「うん。かっこよさだったり、綺麗さだったりがもーう尋常じゃないの! こんな人間、作れるんだって初めて見たとき興奮したし!」
 英子はそう言いながら興奮していた。
「そんなすごい人なんだ……。なんだか想像つかないや」
 苦笑いを漏らしたそのとき、前を歩いていた友人たちが黄色い声を上げた。
「え、何? どうしたの?」
「一体どうし……姫様と金剛さんっ!?」
 状況が掴めないでいると、隣の英子も声が裏返った。
「えっ!?」
 まさか話題の渦中の人物に会えるとは思っていなかった。
 友人たちが見つめる視線の先を追っていくと、一組の男女がいた。
 さっき英子から聞いてはいたけれども、ふたりとも、本当に尋常じゃないくらい整っていた。
 姫様と思われる女性は、深くかぶったつばの広い帽子のせいで詳しい顔立ちはわからなかったけれども、服から覗くすらりとした体躯は白磁のように白く透き通っていた。
 腰ほどまでに伸びた漆黒の黒髪は、女の子なら誰でも憧れずにはいられないほどに艶やかで、自分のごわごわしたセミロングの髪とは大違いだった。
 その隣には、金剛さんと思われる男性が女性に寄り添うように立っていた。
 男性は背が高く、淡い茶色の髪は太陽の光を受けて輝いていた。
 そして、切れ長の目が知的な印象を与えている中、ふんわりとゆるくウェーブを描く髪の毛が優しい印象を与えていた。
「こんな人が……」
 そう言葉が漏れたとき、金剛さんと思われる男性がわたしたちの方へと視線を動かし、微笑んだ。
 衝撃が体中を駆け抜けたと同時に、まるで時が止まってしまったかのように、わたしはその男性を見つめていた。
「……みえちゃん? みえちゃん!」
 呼ばれたことに気づいたときには、友人たちが心配そうに覗き込んでいた。
「もー! みえったら立ったまま意識失わないでよっ。心配しちゃったじゃない」
「ごめんごめん。それで、今のが……?」
「うん、あれが姫様と金剛さん。ほんと、金剛さんってすてきよねぇ」
 ひとりがうっとりとした表情を浮かべてため息を漏らすと、他の友人たちもつられるようにうっとりとしたため息を漏らした。
 その様子にわたしはみんなが金剛さんに心が奪われていることに気づいた。
 もしかしたら、彼女たちだけじゃないかもしれない。
 この街中の女の子がみんな、金剛さんに夢中かもしれない。
 そう思っただけで、わたしは胸の奥でちりりと痛みが走った。
「私、これでしばらく幸せな気分に浸れるわぁ。会えただけでなく、微笑んでもらえたんだもの!」
 そうこぼした友人を見つめ、わたしは金剛さんとの距離の遠さを痛感した。
 わたしはつい最近この街に来たただの移住者。
 この街に生まれ育った彼女たちでさえも、容易に近付くことのできない存在は、わたしには遠すぎる存在だった。
 会えたことにはしゃぐ友人たちを見つめながら、わたしは彼女たちと同じように、ただ見つめることができるだけでいいと思った。


戻ル | 進ム | 目次

Copyright(c) 2008 all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-