脳の支配

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 金剛さんに連れてこられた場所は駅と反対の方向に位置している小高い丘に建てられている濃紺の洋館だった。
 わたしは金剛さんに案内され、屋敷の応接間へと通された。
 そして、その手でわたしの手を取り、ソファに座るようエスコートされた。
「ここは僕が生活している屋敷なんだ」
 ふかふかのソファに居心地の良さを感じていると、そう告げられた。
「ここ、が……?」
 金剛さんは微笑みながら頷き、おもむろに金剛さんは応接間のテーブルの上に置かれた銀製のベルを鳴らした。
 すると、応接間のドアをノックされ、黒いワンピースに身を包んだ女性がワゴンを押して現れた。
 そして、テーブルの上に焼き菓子を乗せた銀皿と熱々の紅茶が注がれたティーカップが乗せられた。
「ありがとうございます……」
 まだ震える声でお礼を言い、自分の前に置かれたティーカップに手を伸ばし、紅茶を口に含んだ。
 喉を通っていく紅茶が気持ちをやわらげてくれた。
 ほうと一息、安心するように息を吐いた。
「落ち着いたみたいだね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「涙の理由はやっぱり先ほどの……?」
 わたしは言葉無く頷いた。
「そうか……」
 金剛さんはそう重たく頷き、しばらく考えるそぶりを見せたと思えば、真剣な面持ちになり、わたしを見つめた。
「僕が護ってあげるよ」
「……え?」
 今、耳に届いた言葉が信じられなかった。
「祭りが終わるまでの短い間だけだけどね」
 金剛さんはそうやわらかく微笑みながら付け足した。
 わたしは呆然と金剛さんの顔を見つめることしかできなかった。
「まぁ、勿論。君が望むのなら……だけれども、どうする?」
「お願い……します」
 大事な友人が離れてしまった今、わたしには目の前で微笑むこの人しか信じられる人がいなくなってしまった。
 姫様の側仕えというお役目を頂いてからほぼ家に帰れず、家族に癒されるということもなかったわたしは、知らず知らずのうちに頼れる人を探していた。
 こんな風に頼るのは卑怯なのかもしれない。
 それでも、抗う力はもう残ってはいなかった。
 その日からわたしの傍らにはいつも金剛さんがいるようになった。
 初めは今まで以上に風当たりが冷たくなったけれども、それも初めだけで徐々に静かになっていった。
 わたしの知らない場所で金剛さんが手を回してくれたのだと宮司さんがこっそり教えてくれた。
 それと同時に、何故かわたしが姫様の代わりに、衣装合わせに出向くようになった。
 不思議に思い、金剛さんにどうしてか聞いてみると、君にもこの体験をさせたくて、と微笑んでいた。
 衣装合わせの帰り、金剛さんからのお誘いでちょっとデートをすることになった。
 デートと言っても、近所の公園のベンチで座って話すだけのちょっとした寄り道なのだけど。
「側仕えは慣れた?」
「はいっ」
「それはよかった」
 金剛さんは一息安堵のため息をもらしたかと思うと、いたずら気に微笑んだ。
「僕の秘密を教えてあげようか……?」
 不意に金剛さんは真顔になり、覗き込んできた。
「実は、人を食べるんだ」
「……えっ?」
「……君を食べちゃっても、良いかい?」
「え……?」
 金剛さんの言葉に面食らっていると、こらえ切れないように吹き出した。
「くはっ……ははははは!」
「え、え、え?」
 いきなり笑い出しされてしまい、わたしはなんだか恥ずかしくなってうつむいた。
「くく……冗談だよ」
 金剛さんの言葉を受けて、勢いよく顔を上げた。
「もう! 本気にしちゃったじゃないですかっ」
 かち合った視線は、不意に金剛さんから離された。
「僕なんかが本気になっても君に迷惑をかけるだけだね……」
「そ、そんなこと……!」
 違うと言いたくて、わたしは思い余って立ち上がってしまった。
「じゃあ、いいのかい?」
 そらされていた視線が再び戻ってくる。
 金剛さんの煌めく瞳に吸い込まれた。
「……は、い」
 吐息を吐き出すように言葉がこぼれた。
 金剛さんは嬉しそうに顔をほころばせ、立ち上がった。
 金剛さんは顔を寄せてきた。
 吐息が近づいてくる。
 体が強張り、ぎゅっと目を閉じた。
 一息置いた後、おでこに何かが触れる感触がした。
「あれ……?」
 言葉と同時に目を開けると、金剛さんはくすりと笑った。
「続きはまた今度、ね」


 そんな甘く慌しい日々はあっという間に過ぎ去り、気がつけば夏の大祭前夜になっていた。
 前夜祭は神社の境内で篝火が焚かれ、翌日の大祭に備えての神降ろしが儀礼的に行われる。
 神降ろしには、姫様が舞台に立って神降ろしの舞を舞うことになっている。
 神降ろしをすると姫様は意識を失うと言われていて、街の住民たちはみんなこれを見に来るらしい。
 本当は側仕えの仕事があったはずなのだけれども、金剛さんが特別な計らいで免除してくれた。
 そして、満天の星空の下、わたしは金剛さんに連れられて前夜祭を抜け出した。
 抜け出した先は、姫様の側仕えで使用した部屋だった。
 ここなら、誰にも邪魔されないから。
「静か、ですね……」
 遠くからお囃子が聞こえてくるけれども、音に霞みがかかったようにメロディは追えない。
「この場所は僕と君だけしか入れないようになっているからね」
 そう言いながら金剛さんは抱きしめてきた。
「ずっと言おうか迷っていたんだけど……」
 金剛さんの声が頭の上から聞こえる。
「僕に君の全てをくれないかい?」
 今、聞こえた言葉が信じられなかった。
 感動のあまり、反応できていないわたしに金剛さんは困惑気味に覗き込んできた。
「だめ、かな……?」
 わたしは金剛さんの胸に擦り寄るように首を振った。
「う、嬉しいです……!」
 金剛さんは満面の笑みを浮かべ、一度わたしから離れた。
 不思議に思っていると金剛さんはわたしの傍らに立ち、わたしの左手を取った。
 そして、ポケットからシルバーリングを取り出した。
「このリングは特別なリングなんだ。ほら、見てごらん。内側に文字が彫られているだろう?」
「ほんと、だ……」
「特別なリングだからこそ、特別な君に……」
 そう伝えながら左手の薬指に内側に文字が彫られた細身のシルバーリングをはめた。
 そして、耳元で唇を寄せた。
「イタダキマス……」
 金剛さんの言葉が耳に届いた。
 ――ぷつん。




 遠い昔、この地方は集落だった。
 集落では、年に一度の祭事に豊穣の女神が降りてきていた。
 たまたま山から食事をしに降りてきたときに居合わせた食人鬼である金剛は女神を一目見た瞬間に恋に落ちた。
 金剛は棲家を山の中から村にほど近い山のふもとに移し、再び女神が現れる日を待った。
 一年後の同じ日、集落の祭事が行われて女神は再び姿を現した。
 祭事は滞りなく進み、女神が天上へと帰ろうとしたそのとき、金剛は女神を攫い去った。
 自分の棲家へと女神を連れてきて金剛は女神に自分の想いをぶつけた。
 だがしかし、女神は神にはそのような感情を持ち合わせていないと冷たく言い放った。
 金剛は何故人間に豊穣を与えるのかと問うと、乞われるからだと女神は答えた。
 そして光の粒に包まれて女神は消え失せた。
 愕然とした金剛は女神を忘れようとするが、忘れることはできなかった。
 金剛は集落にいる娘で女神の姿かたちに似た娘を攫い、共に生活をするという奇妙な日々を始めた。
 人を食する鬼に初めは怯えていた娘も食するがために秀でた美貌を持った金剛にいつしか心を開き始め、好きあう仲へと発展した。
 だが皮肉なことに、金剛は食人鬼であるが故に攫ってきた娘の生命が糧となっていた。
 それと同時に攫われた娘は徐々に衰弱していった。
 命のともし火が消えるのも時間の問題だった。
 ある日、金剛があまりの静けさに目を覚ますと、隣にはからからに乾いた娘の亡骸が転がっていた。
 金剛は嘆き悲しんだ。
 金剛の嘆き悲しむ心は大地を揺るがした。
 大地震に恐怖した集落の住民たちは金剛に集落と生娘を捧げ、金剛は人間として集落を治めるようになった。


 所詮、娘は生に限りある存在で、金剛はそんな娘を捕食する存在でしかなかった。


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