あのバラ園での出会いから数日が経った。
いつもと同じように過ごしていた、つもりだった。
でも、カイミャくんには見破られてしまったみたい。
今はマナーの時間。
カイミャくんにちょっとした問題を出していて、私は惚けていたとこだった。
嬉しいことに、カイミャくんとは、ガリウラが怪我した日から、ちょっとずつではあるけれど、仲良くなってきている。
だから、ちょっとしたことも、最近は見破られがち。
寝不足だとか、そわそわしているだとか。
「先生、気分でも悪い?」
「……え、どうして?」
「だって、時々ここじゃないどこかを見つめているような気がして……」
「カイミャくん、最近どんどん鋭くなってきてるわね」
「……。ねぇ、先生!」
「なぁに?」
「今日は勉強をやめにして、ちょっと話そうよ!」
「お話?」
「うん」
「そうねえ……」
「今日の分、明日しっかりとやるからっ!」
しばし、考え込む素振りを見せる。
って本当は決まってるのだけどね。
「しっかりする?」
「するする!」
「しょうがないわね。じゃあ、今日はここまで」
「ありがとうございましたっ!」
「はい、ありがとうございました」
カイミャくんはいそいそと勉強道具を仕舞い、再び、隣の椅子へと戻ってきた。
「それで、なにをお話しするの?」
「んー、そうだなぁ……」
カイミャくんが一生懸命考え込んでいる。
私はそれを横で笑みを浮かべながら見ている。
「……そうだっ! 先生!」
「ん? なぁに?」
「先生のこと、聴かせてよ! 僕、全然先生のこと、知らないし」
「あら、そうなの? ガリウラから聞いてないの?」
「うん。ガリウラは先入観はいけません、って教えてくれないし」
ああ、ガリウラなら言いそうだわ。
「それに、先生のこと、詳しく知っているの、ガリウラに先生付きのメードに侍従長のマクアドくらいだし……」
「そういえば、そうなのよね。いいわ、何が聞きたい?」
「先生の好きなことってどんなこと?」
「好きなこと? そうねぇ……お昼寝、大好きよ」
「昼寝?」
「ええ、ぽかぽかと暖かい日に丘でゴロンと寝転ぶの。気持ちいいわよ」
懐かしい気持ちになって、自然と笑みが浮かんだ。
「へえ」
「それに、乗馬も好きよ。愛馬と風切ってどこまでも走っていくの。どこまでも行ける様な気がしてくるわ」
「僕はまだ、馬に乗ったこと、ないんだ。」
「そうなの? じゃあ、今度、乗ってみましょう。ガリウラの許可が取れたら、ね」
「うんっ!」
カイミャくんは嬉しそうに返事した。
「あと……あと、歌うこと、好きだわ」
「歌……?」
「ええ。気持ちいいのよ。声を思い切りだす、ってことは」
「ねぇ、今度聴かせてよ」
「今度でいいの?」
「うん。今聴きたいけど、兄上のピアノと一緒に聞きたいんだ」
「当主様、ピアノをお弾きになるの?」
「うん! 息抜きで、たまに弾いてくれるんだよ。すごく上手いんだよ!!」
「そうなの? ぜひ一度拝聴したいわ」
「はいちょう?」
「ええ、聞いてみたいわ、ってことよ」
「ふぅーん……ねぇ、先生」
カイミャくんが何かを決心したように首をかしげた。
「なあに?」
私も真似をするように、首をかしげる。
「先生はどうしてここに来たの?」
思わず絶句してしまった。
「そ…それは、経緯を聞いているの? それとも……」
「原因が、聞きたい……」
しばらく沈黙が流れる。
部屋の中には時計の針の音が大きく響いていた。
「いいわよ」
気がついたら、そう返事していた。
(カイミャくんにならいい、そう思ってしまったのね)
深呼吸を一つし、静かに話し始めた。
「そうねえ、1年ほど前までさかのぼるかしら。父にね、内緒でお見合いを進められていたの。気がついたのは、3ヶ月ほど前。最初は思いっきり抵抗したのだけど、良いお家柄だから、の一言で一蹴されてしまってね……。私も嫌々同意せざるを得なかったの」
「どうしてそんな理由で?」
「貴族の中では多いことよ。お家柄大事、って。いかに自分のところの家名を広めるか、って。それで、1ヶ月ほど前かしら。お見合いの相手と初めてお会いしたの。でも……」
「でも?」
「私がいっちばん、嫌いなタイプの方だったのよ」
「どんな人?」
「周りに連れ添う者のことをただの飾りにしか思っていない勘違いな人。君は私の飾りだ、って言われて頭に血が上っちゃったのね。気がついたら、カップに入っていたお茶をかけていたわ。もちろん、お見合いは破談。父からは家名を汚したと罵られたわ。それぐらい我慢できないのか、って。言い返したら、お前はモナシス家の人間でない、消えろって――」
「先生……」
「それが原因、かな」
しんみりしちゃった空気を振り払うように、明るい声音で話題を変える。
「カイミャくんは、社交界デビューは?」
「まだ。兄上の話じゃ、もうそろそろいいだろうって」
「じゃあ、そのときのために、社交界のマナーをしっかり覚えなきゃね」
「う……は、はい!」
カイミャくんはマナーという言葉を聞き、一瞬身を強張らせた。
でも、すぐにやる気で満ち溢れた目になり、力強く頷いた。
結局、カイミャくんとのおしゃべりはカイミャくんが夜寝る間際まで続いた。
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