慌ただしかった今日ももう、後数時間で昨日になる。
私はネグリジェの上にガウンを羽織り、マチが淹れてくれているハーブティーが出来上がるのを待っていた。
「ラティカ様、お待たせしました。今夜は少し肌寒いので、カモミールをベースにミントと安眠のためにラベンダーを少々入れてみました」
カップをマチから受け取りながら、礼を言う。
「では、私はもう戻りますね」
「ええ、おやすみ。マチ」
「はい、お休みなさいませ」
マチはお辞儀をし、ドアを閉める前にもう一度頭を下げて出て行った。
ゆったりとマチの淹れてくれたハーブティーを楽しむ。
11時を知らせる鐘が屋敷中に鳴り響く。
私は残っているハーブティーを一気に飲み下し、寝室へと移動した。
ガウンを脱ぎ、ベッドの上にそっと置く。
ほんの少し肌寒さを感じ、身震いしながらベッドの中にもぐりこむ。
ベッドの中に入ると、意識とは反して、目が覚めてしまった。
「ふわわっ……あくびは出るのに、どうして眠くないのかしら」
そんなことをこぼしながら、ベッドの中で丸まる。
そんなことをしても、目は覚めていく一方で……。
「もう、一体どうしたのかしら」
そこではたと気づく。
「……家を出てから、独り言が多くなっているわね。……寂しいのかしら。あんな家……いえ、あんな家でも、私の、大事な家だったものね」
ふと溢れてきた、あの屋敷での想い出。
まだ……お父様から信頼されていた頃。
一緒に馬に乗り、駆けた……思い出の丘。
お母様と一緒に作った、チェリーパイ。
いつも気にかけてくれていたお兄様。
そして……生まれた頃から馴染んだ土地。
自然と涙が溢れてきた。
「こんなの、反則だわっ……っ」
あわれる涙を拭っても拭っても、あとから溢れてくる。
ざぁ―……
風が吹いた。
私はその風に導かれるように、ベッドから抜け出し、窓に張り付く。
「うわぁ……」
私は涙を忘れ、ただ、その情景を眺めていた。
窓から見えたものは、一面のバラ園。
気がつけば、ガウンを着込んでいた。
そして、何かに導かれるように、その、バラ園へと足が動いていた。
バラ園を見て回る。
外はちょっと寒いけれども、これ位は気にならない。
バラに気をとられ、いつの間にか、バラ園の中央の庭園へと出た。
どこだろうと周りを眺めていると、不意に声が掛かった。
「――誰だ?」
「あ、ごめんなさい……」
声のほうを振り返ると、男の人が反対側の入り口に立っていた。
何故だか、自然と謝っていた。
「いや、君は?」
「私はここの坊ちゃま、カイミャ様の家庭教師として昨日よりお世話になっている者です。名はラティカ=モナシスと申します」
こんな格好では失礼とは思ったけれども、お母様仕込みの両手の親指と人差し指でガウン両端の軽くつまみ、お辞儀をした。
「ほぅ、貴女が……。それよりも、どうしてこちらへ……?」
「風に……」
「え?」
「風に、誘われました。って、こんなことを言ったら、笑われますよね」
「……いや、笑わない。たとえ、世の中が貴女を笑ったとしても、俺は……俺だけは笑わないよ」
その言葉にどれくらいの時間だろうか、惚けてしまった。
「あの、ありがとうございます」
「いや」
ざぁ―……
また風が出てきた。
「風が出てきましたね……」
と、その人が。
「そうですね……」
と、私が。
何も言わなくても平気な沈黙を久しぶりに感じた。
こんなに一緒にいて安らぐことが出来る人が家族以外で見つかるなんて……思いもしなかった。
ふたりして、庭園に備え付けてある椅子に腰を下ろし、月を眺めていた。
満月だった……。
どれくらい経ったのかしら。
そんなことも気にならないほどの平穏。
「そろそろ遅いですから、ラティカ嬢はお帰りになったらどうです?」
ふと、その人に言われた。
「……そうですね。このままここにいて、風邪を引いてしまったら、カイミャ様……じゃなかった、カイミャくんに怒られそうですしね」
最後の部分を茶目っ気も織り交ぜて、その人に言った。
「……また、会えるといいですね」
会えますか? という意味合いも込めて呟く。
「ええ、貴女が望むのならば……。さあ」
その人に促されるまま、私は自分の部屋へと帰っていった。
ガウンを脱ぎ、先ほどと同じようにベッドの上に置く。
そして、ベッドの中にもぐった。
今度は良い夢を見て、ぐっすり眠れそうだわ。
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