トントントントン……
小気味のいい包丁の音が聞こえてくる。
『あら、のぞみ。起きたの?』
いつものようにママが朝ご飯を作りながら、声をかけてくる。
「うん、おはよう」
『おはよう。顔、洗ってらっしゃい』
いつものように洗面台に行き、顔を洗う。
ふと、なんだか違和感を感じて、頭をひねる。
「……? なんなんだろ」
何かを思い出そうとするんだけど、出てこない。
「ま、そのうち思い出すかな」
『のぞみ、今朝はあなたの大好きな卵焼きよ』
「ちゃんと甘い?」
『ふふ、もちろん』
友達には笑われちゃうけど、ママの作ったこの、甘い卵焼きが大好き。
なんだか、ママの味って感じなの。
「いただきまーすっ」
お味噌汁をすすり、焼き鮭に箸を伸ばす。
定番の箸行動。
なんだか懐かしいのは何でだろ……?
あまり気にも止めず、卵焼きに箸を伸ばそうとしたそのとき。
『のぞみ』
「ん?」
『あなたはあなたの望むようにいきなさい。決して何者にもとらわれてはいけないわよ?』
「ママ、一体どうしたの? そんな真剣なこと、急に言い出さないでよぉ」
ママの顔があまりに真剣で、私はどう反応していいかわからなかった。
『ちゃんと帰ってくるのよ? それだけは約束して頂戴ね』
「もぉ、なんのことを言ってるの? ちゃんと帰ってきますって。これでいい?」
『えぇ。あなたの口からそれを聞ければ十分よ。さ、卵焼きを食べちゃいなさい。終わったら、忙しいんだからね……』
ママが寂しそうに笑った。
その顔にチクンと胸が痛んで……。
でも、どうしようもないな、って思った。
「ママ……?」
『ほら、なんて顔してるのよ』
ママが頬っぺたをつつく。
そのときにはもう、いつものママの笑顔だった。
ママに促されるままに卵焼きをほおばる。
奥底からいろいろなものが湧き上がってきた。
まるで、今まで蓋がされていたかのように……
「あれ? ジュグは!? ていうか、私はどうしてここにっ?」
『ふふっ』
「ママ、どうしてここに……?」
『ここはあなたの想い出の中』
「想い出の……?」
『そう。ちゃんと帰る場所を思い出してもらうために使わせてもらったのよ』
「あ、もしかして、あのままとどまっちゃってもいいかも……とか考えてたから?」
『大当たり。そんなこと、嘘でも思っちゃ駄目よ。あそこは思念が支配する世界なのだから……。いたくても、帰る場所はしっかり思っておかなくちゃ』
ママがいたずら気にウィンクした。
「うん……うん! 私が帰る場所はママのところ。でも、まだ、こっちにいさせて……?」
『ふふ、好きなだけいなさい。後悔しないように……』
ママの言葉と同時に景色がかすみだした。
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