夢屋
幸福 -side Y-

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 そこへはどうやってたどり着くかわからない。
 でも、確かにそこに居たんだ……。
 私に幸せを取り戻してくれた夢屋は確かにそこに居たんだ――




 今日もなんの変化もない、単調な一日の終わりを夕日が告げる。私は自宅への帰路をのたりのたりと歩いていく。
 いつからだろう、こんな風になったのは。前は何だったか、とってもキラキラと輝いたものを抱いて生きていた気がする。でも、いつの間にかそれは私の中から消え失せていた。
「……はぁ」
 今日で何回目かの重たい気持ちを息と共に吐く。
 どこかの誰かが言っていた。ため息をすると幸せが逃げる、と。そういえばそうだったっけ、と思い出す。
「はぁ……」
「お姉さん、さっきからため息ばっか。どうしたの?」
 突然、隣から声をかけられた。はっと息を詰め、足も止まる。視線だけそろそろと移動させると、少年が立っていた。
「あ、驚かせちゃった? ごめんなさい」
 少年は染めているのか、色素の薄い茶色い髪を持ち、背は私より頭一個分高い――170cmといったところか。
「だ……だぁれ?」
 言葉がようやく出てきた。右手でかばんを持ち、左手でまだドキドキいってる胸元を抑える。
「えーっとぉ、ため息を始終ついているお姉さんが気になって声をかけちゃった少年Aじゃ、だめ?」
「だめ」
 即答。当たり前じゃない、第一長すぎる。
「じゃあ、スイ。みんなからそう呼ばれてるし」
 少年――改めスイはにこにこと微笑んでくる。まだ、へらへらじゃないだけマシ、か。
「で、お姉さん、どうしたの?」
 名乗ったらそこに戻るのか。
「べぇっつにぃー。ただ……」
「ただ?」
「毎日単調だなぁーって……。つまんないなぁ、って」
「どうしてつまらないの?」
 スイはにこにこしながらも突っ込んでくる。
「え……だって、毎日おんなじなんだよ? 面白味欠けるじゃない」
 スイはふーん、と納得できないって顔で頷いた。それから私たちは肩を並べて歩いていた。そこではたと気づく。
 どうして、私はこの子と一緒に歩いてるわけ?
「ちょっと、き――」
「ね、お姉さん! 夢は? 夢はないの?」
 遮られてしまった。しかも、再び質問。それに丁寧に考え込んでしまってる私は一体どうしちゃったのだろう。
「んー、夢、かぁ……。確か、こっちに来たときはあったんだよねぇ」
「こっちに来たとき?」
「あぁ、私ね、田舎から出てきたの」
 あぁ、どうしてこう、律儀に応えちゃってるのよ。
「へぇ。で? どんな夢を持ってたの?」
「……幸せなお嫁さん」
「相手は?」
 う、痛いとこを突かれてしまった。
「きみ、痛いとこ突くねぇ」
「だって、お姉さん、聴いてほしそうだし?」
 ちょっと絶句。
「そんなこと……」
 そういえば、誰にも聴いてもらったこと、なかったっけ。
「いいからいいから。ほら、一体何があったの? 僕が聴くよ?」
 この子、魔法使い? なんて感じるほど、スイは私の心に入ってきた。私たちは近くにあったベンチに座った。
「高校の頃、ね。大好きで付き合ってた人がいたの。大学受けるときに一緒についてきてくれ、って。今はまだ夢物語だけど一緒に生きていきたい、って。そう言ってくれた人がいたの。ふたりとも無事にこっちの大学受かって、一緒に頑張った……。就職して、自分で稼ぐようになって、ふたりとも社会を知ったの。そしたらなんでかなぁ、一緒にいる時間が……だんだん、減って、きて……ちょっとしたことでも喧嘩、するようになっちゃって……」
 見えてる景色がぼやけてきた。スイは隣でただ、聴いてくれた。
「そうなってくると……続か、ないんだよね。決定的になったのは、街であいつを偶然見かけた日。あいつ……同じ会社の子と楽しそうに話してた。……ちょっと前まで、私に見せてた笑顔、見せて……。あぁ、もう疲れちゃった、なんて思っちゃって……。その日、荷物まとめて、バイバイしてきたの」
「それで?」
「あいつと別れてからは、ただがむしゃらに働いてたな。男にすがるものか! ってね。でも、仕事でミスしたりしてヘコんだ時――どうしてもあいつの顔、浮かんできちゃうんだ」
 もう限界、とばかりに涙が溢れてきた。スイはそんな私の横に居てくれた。
 いい加減涙も出切って、ゆっくりと落ち着いてきた。
「ところで、きみの夢は?」
「お姉さんみたいな夢を見失ってる人を手助けすること。今、修行中なんだ」
 スイはそう、楽しそうに、嬉しそうに笑った。まるで、あのときに私みたいに。
 なんだか、羨ましくなっちゃった。
「そう、なんだ。一人前になれると、いいね」
 そう言うと、スイはえへへ、と照れながら笑った。
「お姉さん、このままでいいの?」
「……いいの。よくないけど」
 スイは私の強情さにひとつ、ため息をついた。
「……最後に聞くけど、その人のこと、まだ好き?」
「……うん」
 案外言葉はすんなり出てきた。昔は見栄張って言えなかったことも、今なら言える気がした。
「だそうですよ」
 と、突如ベンチの後ろから男の人の声が。
「ゆり……」
 続いて、あいつの――あさとの声が……。
 信じられなくて、振り返れない。もしかしたら、夢かもしれない。
「お姉さん、呼んでるよ?」
 スイが横から嬉しそうに微笑んでくる。
「ゆ、夢かもしれないじゃない?」
 後ろで呆れる気配がする。
「お前、人が呼んでるのにそんなこと言うのか?」
「だ、だって! ここで現れるなんて思わないじゃない!」
 意地張って、後ろを向けない私に代わって、スイが私を無理やり振り向かせた。
「……やっと、顔、見れた」
 ベンチ越しに抱きしめられる。数年ぶりのあさとのぬくもり。
 あぁ、私の帰る場所はここなんだ……。
「……本当はね」
「ん?」
「ずっと待ってた。いつかあさとが迎えに来てくれるって」


「レンリンさん、ありがとうございましたっ! おかげで大切な奴を取り戻せました!」
 あさとが一緒に現れた男の人に頭を下げる。名前はレンリンさん。スイの上司にあたる人、らしい。
「えぇ、これからも大事にしてあげてくださいね」
 レンリンさんのスイに負けないにこにこにっこりな笑顔。
「また夢を見失ったときは夢屋へお越しください」
 今度はスイのにこにこスマイル。


『あなたは夢を見失っていませんか?』


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