夢屋
狭間で

| 目次


『あなたは夢を見失っていませんか?』


 手術の最中そんな声が聞こえていた。
 でも、手術の間はしっかり麻酔も効いてる。
 私はきっと単なる夢だ、と自分に言い聞かせていた。
 この病院との付き合いはかれこれ十年近くになる。
 十年前のある日、私は心臓発作を起こしてこの病院へと運ばれた。
 それから幾度となく入退院を繰り返している。
 今回の手術はもう何度目になるのだろうか……。
 六年ほど前から数える気すら起きなくなった。
 だって、そのときに聞いた言葉はあまりにもの残酷な宣告だったから。
 あの時私は何もかも捨てた。
 この世への希望も子供の頃から夢だった事も……。
 そんなある日、一日外出許可をもらえた。
 私はあと少ししか生きられない……と心の奥底で感じていた。
 その日は自由に町を歩き回った。
 退院するたびに変わる街並をこの目に焼き付けておこうと、いろんな所を歩きまわった。
 しばらく歩き回っていると、歩きすぎたのか心臓が少しづつ苦しくなってきた。
 その時、通りかかった人が心配そうに聞いてきた。
「あ、あの。大丈夫ですか?」
「あ、はい…。少ししんどくなっただけですから……」
「そういう割には凄く苦しそうですよ? 私の店がすぐそこですのでそこで少し休んでいってください」
 まだ、親切な人が居るんだ……。
「大丈夫ですか?」
 私はその人に支えられるままにその人の店へと入っていった。
 内装は純和風といった感じ。
 中に入ると心臓が軽くなったような気がした。
 発作を起こす前のような軽さだった。
「大丈夫ですか? お茶でも飲んで落ち着いてください」
「あ、ありがとうございます」
 私は出されたお茶を少し口に含んだ。
 私の身体を心地よい香りが包んだ。
 それと同時に心にかかっていた”もや”がすぅっと消えていった。
「楽になりましたか?」
「あ、はい。だいぶ楽になりました。ありがとうございます」
「いえいえ。当然の事をしたまでです」
「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「この店は何をやっているのですか?」
「夢を売っているのでございますよ」
「はい?」
「いえ、少し違いますね。夢をもう一度見せるんです」
「…………え?」
「この店に迷い込んだり、私と出会う人は皆夢を見失っているんです」
 まるで自分を指摘されているような、図星を指されたような、私はそんな感じがした。
「それは、私もそうなのでしょうか……?」
「そうなのでしょうね」
「そう、ですか」
 確かにそうだった。
 余命もあと少しという人間がどうして夢などもてるのであろうか……。
「何なら聞きましょうか?」
「え?」
「あなたの夢を」
「いいんですか?」
「はい、どうぞ?」
「あの、私は小さい頃からずっと夢見ていた事があったんです……」
 私は知らず知らずのうちに自分の夢を語りだしていた。
 まるで、何か魔力で操られているかのように……。


「私、小さい頃から童話作家になりたかったんです」
「何故?」
「お隣に住んでいたお姉ちゃんが小さい頃からよくお話を作って聞かせてくれていたんです」
「ほう。それで?」
「私はいつもそのお話が楽しみでした」
 その人は静かに私の話に耳を傾けていた。
「でも、そのお姉ちゃんは3年前に死んでしまいました」
「それは……」
「だから私、お姉ちゃんにも負けないようにお姉ちゃんの分もいっぱいお話を書こうって」
「それで、童話作家に……?」
「……はい」


 私は話し終わった後、まるで懺悔した後のようにすっきりしていた。
 誰にもいえない私の夢を聞いてもらえたからかもしれない。
 私自身、この時だけは心臓の事など忘れて本当に童話作家になりたいと願っていた。
 いや、もっとずっと前から願っていたのかもしれない……気づかなかっただけ。
 でも、今やっとその願いに気がついた。
「あ、あの。聞いてもらえて凄くすっきりしました」
「それは良かったです」
「ありがとうございました」
「いえいえ。当然の事をしたまでですよ」
「あ、もう戻らなければみんな心配しますのでこの辺で……」
「はい、それでは」
「本当にありがとうございましたっ!」
 私は深々と頭を下げて病院の方へと歩き出した。
 と、そのとき……。
『夢を……忘れないでくださいね』
 私の中で声がした。
 後ろを振り返ってみたが、誰もいない。
 でも、きっとあの人だろうな、なんて考えながら、私は病院へと急いだ。


 病院へ着くとみんな大騒ぎだった。
 ちょっと長居をしすぎたかな……?
 そう思ったのだが、どうも様子がおかしい。
 そのときママがこっちに駆け寄って私に言った。
「静香ちゃん!! 臓器提供者が見つかったわよ!!」
 私は静かにママに言った。
「あのね、ママ。私、童話作家になりたい」
「静香ちゃん、頑張ろう。」
 担当の先生も嬉しそうに私に微笑みかけた。


 それから五年の月日が経った。
 私は見事手術に成功し、今では元気に走り回っている。
 そして、童話作家なれた。
 といっても、まだまだ新人作家だけど……。
 これもすべてあのお店で『願い』に気づいたおかげね。


『あなたは夢を見失っていませんか?』


| 目次

Copyright(c) 2008 all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-