夢屋
想ひ出

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『あなたは夢を見失っていませんか?』


 そんな言葉が耳に飛び込んできた。
 気のせいだと思いつつ、非常に気になる一言だった。
 仕方なくと言った感じで辺りを見回すが、そんなことをささやいてきたらしい人物は見当たらない。
 人物は見当たらなかったが、一軒の店に目が止まった。
 その店の前で立ち止まり、暖簾に書かれている文字を読む。
「ゆめ、や? こんな店、あったか?」
 首をかしげているちょうどそのとき、店の中から男の声がかかってきた。
「お客さん。そんな所に立っていたら暑いでしょう?どうぞお入りください。」
 その声に釣られるかの様に店内へと入っていった。


 見渡した内装は純和風といった感じ。
「今日も暑いですね」
 主人と見受けられる男は冷えた茶を盆で運びながら話しかけてきた。
「そうですね。こう暑いと仕事にもなんないですよ。
 言葉どおり、外は連日35℃を越す猛暑。
 扉越しだが、蝉の鳴く声がそれを想像以上に演出している。
 だが、店内はそれとは打って変わって、時折吹くそよ風に揺られて響く風鈴が涼しさを演出していた。
「どうぞ」
 主人が盆にのせた茶を手渡す。
 26〜7歳といった所か。
 同じくらいだな。
「あ、どうも」
 軽く頭を下げ、それを一気に流し込む。
 キンと冷えた茶が一気に熱を下げる。
「そうそう、お客さん」
 主人が突然思い出したかのように切り出した。
「なんですか?」
「お客さんは夢、あります?」
 びっくりした。
 いきなり何を言い出すのか、と。
 しかし、戸惑ったのは一瞬だけで、俺の口は勝手に動き出していた。
「夢……ですか?」
「はい。ありますか?」
「昔は、ありましたね」
「ほう。どんな?」
 どうしてそこまで聞くんだ? などとやや不快に感じながらも俺は答えた。
「コックが夢でした。洋食の。あなたは?」
 何故だか聞きたい衝動に駆られた。
 心の奥底でこの人なら答えてくれる、と信頼でもしていたのだろうか。
「私、ですか?」
「はい」
 俺は力強く頷いた。
「私の夢は、今、です」
「今?」
「ええ。こうして、あなたの夢を聞いている今、です」
 俺には意味がよくわからなかったが、それでも、その答えに満足していた。
「ところで……」
 主人の声色が少し変わった。
 なにかを探ろうとしているような、そんな声色だった。
「今はないのですか?」
「え?」
「夢ですよ」
 一呼吸考え、答えた。
「今の世の中では夢なんて到底持てませんよ」
「そうでしょうか?」
「ええ、そうですよ」
「では、子供の頃の夢は一体なんだったんです?」
「コックです」
「じゃあ今は?」
「あなたは一体何が言いたいのですか?」
「さぁ? 何が言いたいのでしょうね」
 しばらく沈黙が続いた。
 その沈黙の間、俺は必死で今の言葉の意味を理解しようと頑張ったが、突如、その沈黙を俺の携帯の着メロが破った。
「もしもし。……はい。……はい。わかりました、今すぐ戻ります」
「仕事ですか?」
「ええ、ちょっとの間でしたけど助かりました」
 そういい、深々と主人にお辞儀をした。
「いえいえ。あの」
「はい?」
「夢の事……時々でいいですから、思い出してあげてくださいね」
「え?」
「夢が悲しむので……」
「?」
 俺にはやっぱりわけがわからなかったが、主人の顔がなんだか悲しげだった。
 しかし、呼び出しがかかっているので、そうも気をしていられず、俺はその店から去った。
 後日、俺はつい気になってしまうその店を探したが、見つからなかった。


 あれから2年経った。
 俺は今、コックの見習いとして厨房に立っている。
 修行は厳しいが、後悔はしていない。
 今ここでこうしていられるのも、あの『夢屋』のおかげだ。


『あなたは夢を見失ってはいませんか?』


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