みーつけた

ものかき交流同盟夏祭り2006参加作品

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 その部屋と彼――山崎桂太郎が出会ったのは、蝉がその一生を全うしようとしている最中だった。偶然立ち寄った不動産屋に格安部屋として飾られていたのが始まりだ。そこは、敷金礼金なしで家賃六万の二LKという好条件の上、保証人もいらず、即日契約ができる物件だった。最寄り駅がやや離れているのが気にはなったが、今現在住んでいる部屋の更新期日が迫っているため、新たな住処を探していた桂太郎は、その日の間に契約をしたいと店主に訴えた。
「お客さん、まずは部屋を見なくていいんですか?」
 店主の言葉に、桂太郎は頷き、部屋を見せてくれるよう願った。店主は何故かしぶしぶと立ち上がり、鍵を取り出し、部屋へと案内してくれた。
 外観はクリーム色で統一された小奇麗なアパートだった。高さもそれ程無く、最高階は三階だった。桂太郎が案内されたのは、二階の東の角部屋だった。部屋の雰囲気も悪くなく、日当たりも良好なこの部屋に桂太郎は魅せられていた。
「決めました。この部屋、住みます」
 桂太郎の答えは早かった。一刻も急くように、桂太郎は契約に必要なものを集め、その日のうちに契約に必要な作業を済ませてしまった。そして、今現在住んでいる部屋を引き払うための作業も同時に済ませてしまった。その行動はまるで熱に浮かされたようで、普段の桂太郎には考えられない素早い行動だった。
「それじゃあ、山崎さん。鍵、これね」
 そう言って鍵を渡されたのは、その部屋と出会ってから三日後だった。桂太郎は早速友人たちの手を借り、家財道具を新たな住処へと移動させた。その日から、桂太郎の新たな生活が始まった。


 それから数日経った雨の日のことだった。桂太郎はここ数日間の日課になっている部屋の片付けをしていると、東の壁に手形のような染みが浮き上がっていることに気がついた。
「なんだ、この染み。雨漏りか?」
 桂太郎はしばし、その手形のような染みを見つめていると、むくむくと悪戯心がわきあがったのか、浮かび上がった染みに自分の手を重ねた。
「うわ、これ俺の手より大きいじゃん。って遊んでいる場合じゃなかった」
 一時中断してしまった作業を思い出し、桂太郎は戻っていった。そしてまた数日が経ち、漸く人を招き入れられる程に部屋が片付き、桂太郎の引越しを祝しての宴がその部屋で行われることになった。
 招かれた客は五名。皆、桂太郎とは腐れるほどの縁を持つ者たちばかりだ。持ち込みの宴ということで、ある人は酒瓶を、ある人はつまみを、ある人はこ料理をと持ち寄った。そのうちのひとりの松ヶ谷拓斗は、ちょっとした料理と共に自慢のビデオカメラを持ってきた。
「桂太郎の記念すべきこの日をだな、収めるためにわざわざ持ってきてやったんだよ!」
 何故か既にほろ酔い気味の拓斗は既に録画モードにして、カメラを回していた。時間が経つにつれ、宴も盛り上がり、部屋の端にいつの間にかビデオカメラが録画モードのまま鎮座し、その模様を静かに記録していた。日付が変わる頃、招かれた客のうちのひとり――神埼深紅が顔を青ざめ、帰路へと着くことになった。日付も変わり、女性一人の夜歩きは危ないという話になり、桂太郎が送っていくという話で落ち着こうとしたところで深紅が頑なにそれを拒んだ。そして、深紅から無事家に着いた知らせが届くまで、宴は沈み気味だったが、それも時間と共に再び盛り上がりを見せた。そして宴は夜が明けるまで続いた。


 桂太郎が目を覚ましたのは、昼過ぎだった。周りには死屍累々のように、まだ残っている招かれた客がふたり転がっていた。
「おい、朝……いや、もう昼か。とにかく起きろぉ」
 桂太郎はふたりを起こしながら、ビデオカメラを見やると、電池が持たなかったのか、電源が切れていた。
「拓斗、ビデオカメラちゃんと持って帰れよ」
 半分眠りながら、もそもそと帰る準備をしている拓斗へと声を掛ける。もうひとりは目が覚めたのか、玄関で拓斗の準備が終わるのを待っていた。
「たーくと、カメラカメラ」
 まだ夢の中なのか、拓斗は怪しい足取りでビデオカメラを自分のバッグへと仕舞い、ふらふらと玄関へと向かった。
「じゃあ、また遊びに来てやる。拓斗のことは任せろ」
「おう。気をつけて帰れよ」
 ひらひらと手を振りながら去っていくふたりを見送った桂太郎は、携帯電話を取り、深紅へと電話を掛けた。桂太郎は呼び出し音を聞きながら、昨夜青い顔して帰った深紅の様子を思い出していた。
『もしもし……?』
 電話口の深紅の声はやや沈み、まだ本調子ではないのが窺い知れた。
「深紅か? 体調の方はどうだ?」
『あー、うん。もう大丈夫。それよりも、ちょっと会えない? 話したいことがあるんだけど』
「おう。場所はいつもの喫茶店で良いか?」
『うん。じゃあ、いつもの喫茶店で』
 その言葉で電話は切れた。桂太郎は携帯電話を近くのテーブルに置き、出掛ける支度を始めた。匂い消しの意味合いでシャワーを軽く浴び、部屋に戻ってくると、確かに置いたはずの携帯が消えていた。腰にバスタオルを巻いたままの姿でテーブルの下を覗き込んだり、テーブルの周りを見渡したが、一向に見つかる気配はなかった。桂太郎はため息をつき、窓を見やると、窓枠に携帯電話が置かれていた。
「あれ……俺、こんなところに置いたっけ? っと、早く服服」
 桂太郎は首を傾げながら置かれた携帯電話を取り、チェストから下着にジーンズ、タンクトップを引っ張り出し、服を着る最中も携帯電話をしかりと握り締めていた。財布をジーンズの後ろポケットに突っ込み、サンダルを引っ掛け、いつも鍵を置いている籠に手を入れたが、何の感触も無い。
「今度は鍵かよ」
 桂太郎は、苛立つ様に頭を軽く掻き、下に落ちていないか腰を屈めた。シューズボックスの影まで見てみたが、何もない。ふう、とため息をついたそのとき、後ろで金属が当たる音が響いた。振り返るが、郵便受け以外何も見当たらない。桂太郎は、もしやと思い、郵便受けを開けると、中から鍵が転げ落ちてきた。
「な、どうして鍵がこんなとこに……」
 呆然と鍵を拾うと、携帯電話がけたたましく鳴り響いた。表示されている名前は深紅だった。
「もしもし」
『桂太郎? 今着いたんだけど、桂太郎は今どこ?』
「あ、わりぃ。ちょっとトラブっちまって、今から出るんだわ」
 桂太郎は携帯電話を片手に玄関を出、鍵を回した。鍵が回転するのと同時に、鍵が掛かる音と感触が手を伝わって感じられる。確かめるために二、三度ドアノブを回すが、開く気配は無い。しっかりと鍵が掛かったようだ。
『じゃあ、先に入ってて何か飲んでる』
「おう、そうしてくれ。十分もすれば着くと思うから」
 電話を切り、鍵と共に財布とは別の後ろポケットに突っ込み、深紅が待つ喫茶店へと向かった。


 桂太郎は宣言どおり、十分後には約束の喫茶店の前にたどり着いていた。どうやらごたごたはあの部屋の中だけで済んだらしい。軽い鐘の音と共に喫茶店の扉を開くと、桂太郎は深紅を視線だけで探した。深紅は入り口から右奥に位置するプランターで仕切られたボックス席に座っていた。鐘の音で気付いたのか、深紅は桂太郎への微笑み、手を小さく振っていた。桂太郎はやや早足で深紅の座っているボックス席へと向かい、深紅の向かいに腰を下ろした。
「悪い、遅くなった」
「ううん、一体どうしたの?」
「あー、あとで話すよ。それより深紅は何か頼んだ――って頼んでるな」
 桂太郎は深紅の前に置かれたアイスティーを見て、言葉をつなげた。ちょうどそのとき、ウェイトレスが注文を聞きにやってきた。桂太郎はアイスコーヒーを頼み、話を再開させた。
「それよりも聞いてくれよ。電話の後、シャワー浴びたんだが、ちょっとおかしいことがあってさ」
「おかしいこと?」
「出てくると携帯電話の置いた場所から消えて違う場所に置かれていたり、鍵置き場に置いてあるはずの鍵が郵便受けの中に入っていたり。とにかく変なんだよ」
 深紅は桂太郎の話を聞いていたかと思うと、何かを思い詰めるように自身の手元を見つめていた。間を呼んだかのように、ウェイトレスがアイスコーヒーを持ってきた。
「どうした?」
 桂太郎はアイスコーヒーにミルクを混ぜながら、深紅に問いかけた。
「あの部屋、出た方がいいよ」
 その言葉は衝撃だった。桂太郎は混ぜていた手を止め、即座に言い返していた。
「は? どうしてそんなこと言い出すんだよ」
 深紅は苦しそうに眉を寄せ、口をつぐんだ。
「この間引っ越したばかりなのに、そんなこと言われて嬉しいやつ、いるか?」
 深紅のいきなりの言葉に桂太郎は面食らい、ついつい責める口調になってしまった。それに比例するように、桂太郎と深紅の間に重苦しい空気が包み込む。桂太郎はその空気に耐え切れなくなり、アイスコーヒーを飲み干した。深紅は桂太郎のその様子にこのままでは話が進まないと思い、慎重に、言葉を選ぶように口を開いた。
「……言わない方がいいと思ってたんだけど」
 桂太郎の知るノリのいい深紅からは想像ができないほどに思い詰めた表情をしていた。
「あたし、見ちゃった」
「……何を?」
 深紅の雰囲気に気圧されたのか、啓太郎は手に汗をかき始めた。
「あたしを睨む、おとこのひと……」
「おとこの、ひと?」
「そう。玄関入ったところでね、いきなり目の前に現れて、思いっきり睨まれた」
「それは……」
「うん。生きて、いない人……」
 桂太郎は背筋が寒くなった。
「お祝いだったから、雰囲気壊さないように笑ってたけど、ずっと睨まれてた……」
「ずっと? 来た時から、か?」
 言葉もなく、深紅は頷いた。あまりに神妙な様子に、桂太郎は深紅の言葉を信じるしかなかった。その後深紅と別れ、そのまま部屋に帰ってきた。部屋に入った桂太郎は深紅の言葉をいつの間にか反すうしていた。
「男に睨まれてた、ってここには俺しか住んでないっつーの。ハハ」
 冗談にしてみても、背中に薄ら寒いものが走るのを感じてしまった。そして、桂太郎はおもむろに部屋を見渡すと、また壁に手形のような染みが浮き出していた。しかし、外は快晴だ。
「な、なんで出てきてんだよ……」
 桂太郎は無意識に後ずさり、衝動的にボストンバッグを手に取り、まるで旅に出るかのように荷物を詰め始めた。服と必要なものが荷造りできると、その足で近くに住む友人の家へと訪れていた。
 訪ねる友人たちは、必死の説得のおかげで数日間の滞在を許してくれたが、あまり長い間はいられなかった。そして最後にたどり着いたのは、拓斗の家だった。この間の宴の模様を見ようという誘いもあって、話はすぐに決まった。桂太郎が拓斗の家を訪問すると、拓斗はすでにビデオカメラをテレビに繋げ、いつでも見られるようにセットされていた。
「よく来たな。いつでも見られるようになっているぞ。酒盛りしながらでも見るか?」
「お、いいじゃん。でも、俺何も用意してないぞ」
「ああ、それは大丈夫だ。我が家には常に何かしらの用意があるからな!」
 拓斗はそう威張りながら、冷蔵庫から冷えた缶ビールとナッツを取り出した。
「威張ってた割には出てきたものはアレだな……」
「お前、ナッツを馬鹿にするな! 食べ過ぎると鼻血が出るんだぞ!」
「わかったわかった。それよりも早く見ようぜ」
 拓斗は桂太郎に急かされ、ビデオカメラの再生ボタンを押した。青かったテレビ画面に宴の模様が映し出される。
『桂太郎の記念すべきこの日をだな、収めるためにわざわざ持ってきてやったんだよ!』
 テレビのスピーカーから拓斗の声が大音量で響き渡る。桂太郎も拓斗も慌てて耳を塞ぎ、拓斗はすかさずリモコンで音量を落とした。それからしばらくの間、先日のことを思い出して笑い話に花を咲かせていたが、徐々に飽き始めてきた。
「うわ、もうこんな時間だ」
 桂太郎が時計を見ると、疾うに日付は変わり、二時過ぎを示していた。
「じゃあ、今日はもう寝るか? 別にここにいるのは今日明日だけじゃないんだろう?」
 そう言いながら拓斗が停止ボタンを押そうとしたその突如、画面上に白い影が横切った。桂太郎と拓斗は驚愕し、画面を見つめると、表示されている映像がゆがみ、砂嵐へと変貌していった。そのまま見入っていると、今度は何故か桂太郎たちが今いる部屋へと変わっていった。画面の中には桂太郎と拓斗の後姿も映っていた。
「なんなんだよ、これ……」
 呆然と画面を見詰めていると、画面の端に白いカッターシャツとパンツを着た男の人の後姿が映り込み、徐々にその男が近付いてくるのが映し出された。桂太郎と拓斗は合図し合ったかのように、同時に後ろを振り返った。が、そこには誰の姿も無く、壁しか視界に入らない。突如、隣にいた拓斗が驚愕の声をあげた。桂太郎は声につられるように前へ振り向くと、画面いっぱいに、男の顔が映っていた。男の顔は、服のように真白、というよりも青白かった。
 おもむろに男の口が開いた。
『「……どうして気付いてくれない? ずっと見てたのに……」』
 その声は桂太郎の耳すぐ傍らとテレビのスピーカーから響き渡った。桂太郎は慌てて耳を塞ぐが、まるで無意味に耳の奥底まで声は響いた。
『「僕の姿は君には見えないんだ……」』
「聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない――ッ」
 それは絶対的な拒絶だった。桂太郎は耳に手を埋め込めるように当て、瞼を雨戸よりも堅く閉め、口はひたすら同じ言葉を繰り返していた。
「知らない、お前なんか知らない。俺にまとわりつくな――ッ!」
 桂太郎はそこで意識が途切れた。同時刻に呆然とその様子を見ていた拓斗も、気絶でもするかのように意識を手放した。


 瞼を開けると、朝になっていた。窓から差し込む朝陽が目に痛い。桂太郎は呆然と周りを見回すと、そこは拓斗の部屋のままだった。あれは夢だったのか、とふらふらと周りを見渡していると、肩に何かが掛かっていることに気がついた。
「なんだ、拓斗。わざわざ掛けてくれ……」
 肩に掛かっていた何かを取り、それを見た途端、桂太郎は声が出なかった。それは、つい最近見かけたものだった。そう、昨夜出てきた男が着ていたカッターシャツだった。
 桂太郎は傍らで眠っている拓斗を叩き起こし、そのまま嫌がる拓斗を付き添わせ、部屋を引き払いに行った。しかし、桂太郎は気付いていなかった。いや、気付けなかったのだ。
 彼はもうその部屋にはいないことを。そして、新たな依り代へ移ったことを――。
 ――もう離さない。これで、ずっと一緒だ――


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