脳の支配

後書キ | 目次


 特急列車が長いトンネルを抜けると、窓の外は緑の山々が広がっていた。
 今まで見たことがないほどの深い緑は、わたしの目にはとても新鮮に映り、憂鬱だったこの道のりが急に色鮮やかに息づいていった。


 ちょうど一ヶ月前、パパが会社で転勤を命じられた。
 それからわたしたち家族はパパが単身赴任するか否かを話し合った。
 翌日には単身赴任を推していたママが家族で引越し賛成派へと変わっていたとき、わたしは唖然としてしまったことを鮮明に覚えている。
 一週間ほど家族で話し合ったのだけれども、そのほとんどがわたしへの説得に費やされたのは言うまでも無かった。
 結局、わたしはパパたちに説得されてしまい、住み慣れた土地と心許した友人たちと別れることになってしまった。
 今朝、友人たちが見送りに来てくれたときは涙腺が緩み、膨大な涙が零れ落ちた。
 時間の許す限り別れの名残惜しさに浸り、大人になったら絶対また会おうねの言葉を交わし、わたしたちは別れた。
 最寄駅で先に出ていたパパたちと落ち合い、そこから一時間ほど電車に乗り、バスに乗り換えればバスに四時間ほど田舎道を揺られ、最後には特急電車に乗り換えた。
 そして三時間、特急電車に揺られ続けた今、長かった旅は終わりを告げようとしていた。
「トンネル抜けたからな、もうすぐで着くぞ」
 文庫本を静かに読んでいたパパが読んでいたところにしおりを挟みながら口を開いた。
 わたしは窓の外に広がっている緑の景色に気をとられていて、パパの言葉は右から左へと流れていった。
「ほら、みえ。すぐに降りられる準備をしちゃいましょ」
 ママの言葉は、窓の外をうっとりと眺めていたわたしを強引に現実へと引き戻した。
「はあい」
 降りる準備と言っても、今、わたしたちはいつも出歩くときに持って歩く手荷物くらいしか持っていない。
 そのため、降りる準備も瞬間終わってしまう。
「わぁ、森だ! 森があるんだ……」
 進む特急電車の右手側に都会では見られないほどの深い森が広がっていた。
 特急電車スピードが徐々に落ち始めた。
 緑豊かな田園景色に住宅がぽつりぽつりと姿を現し始めた。
 昨日まで生活していたような密集した住宅街ではないけれども、自然がいっぱいでのんびりと過ごせそうな場所だった。
「ほら、パパ。駅弁のゴミくださいな」
 街が見え始めたからか、ママが車内で食べたもののゴミを集め始めた。
 わたしたちは、いよいよ新境地に足を踏み入れる。


 降り立った駅は、白く綺麗だった。
 それも、半日かかった移動の苦痛もすっかり吹き飛んでしまうほどに、綺麗ですてきな駅だった。
 駅は木造建築だったけれども、まったく古さを感じさせず、壁はペンキで真白く塗られていた。
 その内装は、日本なのにまるでどこか外国に来ているような錯覚を覚えるよう。
「すごいわ……」
 ママが感慨深げに駅を眺めながら呟いた。
 わたしもママにならって駅の内部を仰ぎ見る。
「うっわぁ……ッ!」
「てっきり田舎だと思っていたけれども、まさかこんなに綺麗だなんて……」
 ママは駅の入り口へと歩きながら感慨深げに呟いた。
 駅から一歩外に出ると、土地一帯が一望できた。
 小高い丘の上に建っていることで、この土地は四方が山と森に囲まれていることがよくわかった。
 パパを先頭にわたしたちは駅の正面からゆるやかに下っている坂を降りていった。
 舗装されていないむき出しの野道は、石ころが転がっていたけれども、それほど歩き難くはなかった。
 進むごとに徐々に近付いてくる街の景色は、思い描いていた景色を吹き飛ばした。
 わたしは今、目の前で広がっている景色を目に入れるまでは、通常思い描くような日本家屋が立ち並んだ田舎町を想像していた。
 でも、今目の前で広がっている景色はそれとはまったく異なっていた。
 道路はすべて石畳で舗装され、何故か馬が馬車を引いていた。
 建っている建物はすべて洋館仕立てになっていて、見事に調和していた。
 目の前に広がる光景は、もはやここが日本に存在する街だと言われても信じられないほどに、日本らしさが消え失せていた。
 言葉の出ない感動とは、こういうことを言うのだろうか。
 そんなことを頭の隅で思いながら、わたしはママと一緒に目を輝かせていた。
「すごいすごいっ! こんなとこ、日本にあったんだ……ッ!」
 感動が言葉を伴って表れたのは、駅から繋がるメインターミナルへとたどり着いたときだった。
 わたしは感動で動くことができず、その場でただただ心を震わせていた。
「あれに乗るぞ」
 パパが指したものは、見事な毛並みを持った栗毛の馬二頭が引く箱型の馬車だった。
「えっ!? 馬車に乗ってもいいの!?」
「ああ、当たり前じゃないか。あれは乗り合い馬車になっているらしくてね、行きたい場所に連れていってくれるんだそうだ。この街には、バスもタクシーもない代わりに、景観にあったああいう乗り物ができたらしい。今まで住んでいた環境と比べると多少不便ではあるが、なかなか良さそうだぞ」
 まさか馬車に乗れると思っていなかったわたしは、興奮でぼやける頭のまま、パパに促されてわたしとママは先に馬車に乗り込んだ。
 乗り合い馬車だからか、中はそこそこ広く、八人くらいまでなら乗れそうだった。
 けれども、わたしたちが乗った馬車は誰も乗っていなかった。
「ママ、すごいね」
 誰もいないけれども、何故か声を潜めてしまう。
 それはママも同じなのか、言葉を発さないでただ頷いた。
「行き先を告げてきた。出発するぞ」
 パパがそう言いながら、馬車に乗り込んできた。
 パパがちょうどママの隣に腰を下ろしたとき、馬のいななきが聞こえ、馬車がゆっくりと動き始めた。


 馬車に揺られ続けて二十分ほど、わたしは馬車の小窓にずっと張り付いていた。
 目に映る景色すべてがすてきで、光り輝いていた。
 流れていく景色に不安と期待が入り混じって湧き上がる。
 わたしもまた心を許しあえる友だちができるかな……。
 この感情とどう折り合いをつけていこうかと悩んでいると、再び馬がいなないて、馬車は止まった。
「ほら、みえ。新しい家に着いたぞ」
 まずパパが馬車から降りて、それにママが続いた。
 わたしはひとつ息をゆっくり吐いて、それから降りた。
 馬車から降りると、馬車の向こう側からこれから住む家が見えた。
 わたしたち一家が新しく住む家は、他の家と同じように洋館造りになっていた。
 わたしたち家族三人では、二階建てでちょうどいい感じだった。
 パパが鍵を開け、家に入ると玄関入ってすぐ右に存在する居間にわたしたちよりも先に届いていたダンボールの山が鎮座していた。
「家具は全部設置してもらったんだけどな。こればかりはどこに置いたら良いかわからなかったからここに固めておいてもらったんだ」
 パパが後ろ頭をかいた。
「これは、片付けるの大変だね」
「まぁ、仕方ないさ。頑張って片付けるか」
 パパはため息をつきながらダンボールの山へと向かった。
「パパとママの部屋は廊下の奥の階段を二階に上がってすぐにある深緑のドアの部屋で、その向かいの赤いドアの部屋がみえの部屋だからね」
「はあい」


 わたしは自分のダンボールはひとまず置いておき、宛がわれた部屋を見てみることにした。
 ママに説明されたように廊下の奥には年季が入った木の階段があって、一段一段踏みしめるようにして上がった。
 階段を上がったすぐ前に深緑のドアはあった。
「ここがパパとママの部屋かぁ。確かわたしの部屋はこの向かい、だよね」
 そう呟きながら振り返ると、階段で吹き抜けになっている奥に深紅のドアがあった。
「パパとママの部屋からちょっと遠いんだ……」
 夜中怖くなったらどうしようと考えた頭を軽く振った。
「……うん、だいじょうぶ」
 きしむ木の床を踏みしめ、廊下を進んでいった。
 新しい部屋にドキドキと興奮しながら、わたしはドアノブに手をかけた。
「あ、あれ……?」
 ドアノブを回そうと手首をひねってみたけれども、ドアノブはガチャガチャと鳴るだけで動かない。
「鍵、かかってるのかなぁ」
 わたしは首をひねりながら、ドアノブから手を離した。
 手を離すのとほぼ同時に、ドアの向こう側でガチャリと重い金属が落ちる音がした。
「え……?」
 わたしは再びドアノブに手をかけ、手首をひねってみた。
「あれ、開いた……」
 今度は、軽く触れただけでドアノブが回り、軽くきしみながらドアは開いた。
「たてつけでも、悪かったのかな?」
 わたしは自分に言い聞かせるように呟き、部屋の中へと視線動かした。
「う……わぁ!」
 わたしの新しい部屋にはすでに家具であるベッドや勉強机、愛用の五段チェストが運び込まれていた。
 床にはドアの色と同じ深紅のじゅうたんが敷き詰められていた。
 恐る恐る一歩を踏み出し、敷居を越える。
「っわ! すっごいふわふわっ!」
 想像していたよりも、やわらかな感触が足を待っていた。
 じゅうたん特有の硬さではなく、ふわふわとした軽い浮遊感を持った質感だった。
「こんなじゅうたんって、普通一般家庭にあるものなのかな……」
 今、足元に敷き詰められているものの値段が気になりつつも、わたしは部屋の中をぐるりと見渡した。
 どこをどう見ても、ほれぼれしてため息しか出てこない。
 備え付けられているクローゼットを開けてみると、中にはすでに一着の服が掛けられていた。
 それは紺のブレザーに白に近いカッターシャツ、赤いリボンに紺のプリーツスカートだった。
「もしかして、これが新しい学校の……?」
 新しい制服を手に取り、クローゼットの内側につけられている鏡の前で合わせてみた。
「これが、次の学校のわたし、かぁ」
 鏡では、新しくて馴染まない制服にどきまぎするわたしが映っていた。
 制服をもとの場所に掛け、クローゼットを閉め、もう一度部屋を見渡した。
「さて、早く片付けちゃわなきゃね」
 気合を入れたわたしは一階の居間へと降りて、自分の衣類を入れたダンボールを抱えて戻ってきた。
 クローゼットを開けて衣類を掛け、下着をチェストに仕舞っていると、一階からママのご飯を知らせる声が響いた。
 晩ご飯が終わった後、普段なら団らんの時間だけれども今日はさすがにパパもママもすぐに荷解きと片付けに戻ってしまった。
 わたしひとりだけがゆっくりしているわけにも行かず、少しがっかりしながら自分の部屋へと戻った。
 居間のダンボールの山は無くなったけれども、代わりにわたしの部屋に小さなダンボールの山が出来ていた。
「これを片付けなきゃいけないのか……」
 ダンボールの小山を見てひとりごちたところで何も変わらない。
 わたしは腕まくりをして、ひとつずつ片付け始めた。
 そのおかげか、眠る少し前にはダンボールの山は無くなった。
「この続きは明日、かな」
 部屋の一角を占拠している持ってきた本の山やぬいぐるみたちを見て言葉が漏れた。


 翌朝、いつもより早く目が覚めた。
 引越しの疲れが溜まっていたのか、ぐっすりと眠り、爽快な朝を迎えていた。
 顔を洗って歯を磨き、新しい制服に袖を通した。
 神妙な儀式を受けているみたいに、妙にドキドキした。
 朝ごはんはいつものようにママが作ってくれて、非日常の連続の中で日常を感じた瞬間だった。
 友だちはできるだろうか、勉強はついて行けるだろうか、迷わないでたどりつくことができるだろうか。
 そんなことを頭の中でぐるぐると考えながら、パパに書いてもらった高校への地図を見ながら歩いていると、今身につけている制服と同じ制服を来た高校生をちらほらと見かけ始めた。
 安心したのと同時に、奇妙な居心地の悪さを感じた。
 なぜか皆が皆、わたしを見つめている。
 無遠慮なまでにじろじろと見つめてくる人からチラチラと横目で見てくる人とその様子はさまざまだった。
 あまりにも居心地が悪かったけれども、外から来た人間が珍しいのかと自分を納得させることにした。
「アンタがこの街に新しくやってきたっていう兵頭みえサン?」
 声は突然後ろから聞こえてきた。
 驚きながらも振り返ると、同じ制服に身を包んだ女子高生が立っていた。
「そうですけど……どうして名前を?」
 疑問に思っていることを口に出してみると、思い切りの力で肩を叩かれた。
「なぁーに寝ぼけたこと言ってんのよ! 街中の噂になってるって! ほら、みーんなアンタのこと、見てるじゃない」
「い、痛い……。噂?」
「そうよ。噂って言うほど大げさなもんじゃないけどね。ほら、この土地って外から人が来るってことが珍しいのよ。まァ、みんなアンタが兵頭みえってことは知ってるわよ」
 気さくに話し続けるこの女子高生にわたしは面食らってしまった。
 初対面ではどうしても物怖じしてしまう性格のわたしには、彼女が眩しく映った。
「あ。アタシの名前は英子。阪上英子よ。同じ学校でしょ? よろしくね」
「あ、はい。兵頭みえです。こちらこそお願いします」
 ぺこりと頭を下げると、ものすごく笑われた。
「ちょっとちょっと! アンタ硬過ぎ! アタシたち、同い年なんだからタメ口でいーって! アタシのことは英子って呼び捨てでいいからねっ。アタシもみえって呼ぶし」
 英子の勢いに戸惑いながらも、わたしは彼女のペースに巻き込まれていく楽しさを感じていた。
 昨日越してきたことは街中知っているらしく、英子はわたしに質問するのではなく、自分のことを教えてくれた。
 英子は、わたしの家からは十五分ほど離れたところに住んでいて、六つ歳の離れたお姉ちゃんがひとりいるらしい。
 趣味はおしゃべりで、ずーっとしゃべっていて授業中によく怒られているらしい。
 それから、憧れている人がいることも教えてくれた。
 偶然同じクラスということもあったけれども、英子とわたしはすぐに仲良くなった。
 ちょっと強引だけど、ちょっとしたことも気にかけてくれる英子のおかげで、わたしは慣れない環境や周囲に馴染むことができた。
 徐々に学校の雰囲気にも慣れ、友人も増えていった。
 自然と友人たちと接することができるようになった頃、英子をはじめとした友人たちの会話の中に姫様と呼ばれている人物とナイト様と呼ばれている人物が頻繁に出てくるようになった。
 誰なのか検討もつかないわたしは、首を傾げるしかなかった。
 そんなわたしの様子に気づいた友人たちが教えてくれた。
「みえちゃんはここで育ってないから知らなかったっけ。姫様っていうのはね、この街の象徴みたいな人、かな」
「象徴?」
「うちのじいちゃんが言ってたんだけど、夏の大祭のときは神の依り代になるらしいよ」
「より、しろ?」
「うん、らしいよー。しかも、大祭じゃないとなっかなか姫様見れないし!」
「そうそう! ああ、アタシも姫様に間近でお会いしてみたいわぁ」
「英子が会いたいのは姫様じゃなくて、その隣の金剛さんでしょうが!」
「あは、バレた?」
「金剛、さん……?」
 友人たちの言葉でも理解することができず、わたしは再び首を傾げるしかなかった。
「金剛さんはねぇ、姫様の隣で姫様を守ってるボディガードみたいかな!」
「ボディガード? どうして?」
「姫様は昔この土地に降りてこられた豊穣の女神さまの気をまとう役目の人なの。だから、悪い鬼からその身を護るために金剛さんがいつも護っているってわけ!」
「ふぅーん」
「ところで、みえも金剛さんのことを知ったことだし、今日の放課後、いつもの場所行っちゃう?」
「ああ、金剛さんが時々現れるっていうあの通り?」
「もっちろーん! それに、あの近くに新しいクレープ屋が出来たらしいよ!」
「クレープ屋っ? 行く行くー!」
「みえちゃんも行く?」
 話のなりゆきを見守っていたわたしは、必死に頷くことしかできなかった。
 姫様に金剛さん……一体どういう人たちなんだろう。


 わたしは先行く友人たちの背中を見つめながら、姫様と金剛さんについて思考をめぐらせていた。
「そっか、みえはまだ見たことないんだっけ」
 ついさっきまで前を歩く友人たちと金剛さんについてはしゃいで語っていた英子がすぐ隣に来ていた。
「うん。どんな人たちなの?」
「うーん、人じゃないくらい別格」
「べ、別格?」
「うん。かっこよさだったり、綺麗さだったりがもーう尋常じゃないの! こんな人間、作れるんだって初めて見たとき興奮したし!」
 英子はそう言いながら興奮していた。
「そんなすごい人なんだ……。なんだか想像つかないや」
 苦笑いを漏らしたそのとき、前を歩いていた友人たちが黄色い声を上げた。
「え、何? どうしたの?」
「一体どうし……姫様と金剛さんっ!?」
 状況が掴めないでいると、隣の英子も声が裏返った。
「えっ!?」
 まさか話題の渦中の人物に会えるとは思っていなかった。
 友人たちが見つめる視線の先を追っていくと、一組の男女がいた。
 さっき英子から聞いてはいたけれども、ふたりとも、本当に尋常じゃないくらい整っていた。
 姫様と思われる女性は、深くかぶったつばの広い帽子のせいで詳しい顔立ちはわからなかったけれども、服から覗くすらりとした体躯は白磁のように白く透き通っていた。
 腰ほどまでに伸びた漆黒の黒髪は、女の子なら誰でも憧れずにはいられないほどに艶やかで、自分のごわごわしたセミロングの髪とは大違いだった。
 その隣には、金剛さんと思われる男性が女性に寄り添うように立っていた。
 男性は背が高く、淡い茶色の髪は太陽の光を受けて輝いていた。
 そして、切れ長の目が知的な印象を与えている中、ふんわりとゆるくウェーブを描く髪の毛が優しい印象を与えていた。
「こんな人が……」
 そう言葉が漏れたとき、金剛さんと思われる男性がわたしたちの方へと視線を動かし、微笑んだ。
 衝撃が体中を駆け抜けたと同時に、まるで時が止まってしまったかのように、わたしはその男性を見つめていた。
「……みえちゃん? みえちゃん!」
 呼ばれたことに気づいたときには、友人たちが心配そうに覗き込んでいた。
「もー! みえったら立ったまま意識失わないでよっ。心配しちゃったじゃない」
「ごめんごめん。それで、今のが……?」
「うん、あれが姫様と金剛さん。ほんと、金剛さんってすてきよねぇ」
 ひとりがうっとりとした表情を浮かべてため息を漏らすと、他の友人たちもつられるようにうっとりとしたため息を漏らした。
 その様子にわたしはみんなが金剛さんに心が奪われていることに気づいた。
 もしかしたら、彼女たちだけじゃないかもしれない。
 この街中の女の子がみんな、金剛さんに夢中かもしれない。
 そう思っただけで、わたしは胸の奥でちりりと痛みが走った。
「私、これでしばらく幸せな気分に浸れるわぁ。会えただけでなく、微笑んでもらえたんだもの!」
 そうこぼした友人を見つめ、わたしは金剛さんとの距離の遠さを痛感した。
 わたしはつい最近この街に来たただの移住者。
 この街に生まれ育った彼女たちでさえも、容易に近付くことのできない存在は、わたしには遠すぎる存在だった。
 会えたことにはしゃぐ友人たちを見つめながら、わたしは彼女たちと同じように、ただ見つめることができるだけでいいと思った。


 金剛さんを初めて遠目で見つけ、微笑んでもらえたあの日から随分月日が経った。
 わたしの金剛さんへの想いは消えるどころか、さらに大きくふくらんでいた。
 会えなくてもいい。
 そう思ったはずなのに、心は裏腹に金剛さんを欲していた。
 そんな想いを胸に秘め続けて、この街で迎える初めての夏がやってきた。
 今年は街で四年に一度の夏の大祭らしく、今では無二の親友になった英子から祭りのスタッフ募集に一緒に応募しないかと誘われた。
 毎年、夏のこの時期になると、無病息災を祈る夏の祭りが行われるそうだけど、四年に一度の夏の大祭は姫様が直々に無病息災を祈り、神の依り代となって穢れを祓う夏の大祭りだった。
 そして、この夏の大祭は金剛さんが直々に指揮を執り行う唯一の街のイベントだった。
 祭りのスタッフは、割り当てられる仕事の差はあれ、金剛さんと共に時間を過ごすことができるため、毎回抽選になるほどに祭りのスタッフに応募する女の子がいるって英子が憎憎しげに言っていたのは、採用されるように夏の大祭が行われる由宜乃神社で神頼みをしていたときだった。
 街全体はおとぎ話に出てきそうなエキゾチックな雰囲気なのに、こういうところで日本という国にいることを久しぶりに再確認させられた。
 それから一週間後、祭りのスタッフに採用されたと手紙が届いた。
 わたしは嬉しくて舞い上がり、何度も何度もその手紙を読み返した。
 手紙に書かれた大祭中の役割をママに伝えると、頑張ってきなさいと応援してくれた。
 翌日、晴れやかな気分で学校に行くと、クラスメイトは半分ほどしか来ていなかった。
 不思議に思っていると、英子がうきうきしながら教室に入ってきた。
「おっはよー!」
「おはよ、英子」
「お! みえが学校に来てるってことは、みえも採用されたんだねっ」
 英子はそう言いながら抱きついてきた。
「えっ、どういうこと……?」
「ほら、昨日先生から言われたでしょ。明日はほとんどの教科が自習になるって」
 英子の言葉に頷く。
「それは、昨日、祭りスタッフの採用通知が届く日だったからなのよ」
「それと自習とどう関係あるの?」
「大きな声では言えないんだけど……」
 英子はそう前置きをして、声を潜めて続けた。
「採用されなかった子たち、ショックのあまりに次の日、学校休んじゃうのよ」
 英子の言葉に事の大きさに唖然としてしまった。
「隣の高校でもほとんどの子が休んでるみたい。来る途中、他校の制服の子、全然見なかったし」
「そうなんだ……」
「それだけ夏の大祭のスタッフって競争率がスゴいのよ! 来たばっかのみえがスタッフになれるなんて、とんでもなく幸運なんだからね! スタッフは十六歳からハタチまでっていう制限もあるし、それに祭りのスタッフは一生に一度しか経験できないって決まりになっているから……本当にスゴい競争率なんだからね!」
「う、うん」
 英子の重ねられる言葉から改めて採用された嬉しさがこみ上げてきた。
 その嬉しさをかみ締めながら、自習ばかりの授業を過ごした。
「帰り、由宜乃神社寄るからね」
 帰り支度をしていると、英子がそう告げてきた。
「由宜乃神社に? 何か用事あるの?」
「用事って……何のスタッフになったか確認しなくちゃならないでしょうが」
「え……? 英子は手紙にどのスタッフか書いてなかったの?」
「え――どういうこと?」
 英子の目がつりあがった。
「え、あれ。わたしのには、書いて、あったんだけど……」
「何て!?」
 和やかな空気が一変して、痛いくらいに緊張感を孕んだ。
 わたしは英子の強張った表情に恐怖を覚え、とっさに言葉が出てこなかった。
「早く答えなさいよッ!」
「……姫の、側仕え、って……」
「なっ、どうしてッ!? どうして、アンタが、アンタなんかが……姫様の側仕えなんて大役、与えられるのよッ!」
「し、知らない……!」
 英子の口から次々と飛び出す言葉にわたしは首を振るしかなかった。
「アンタなんか……」
 英子は俯き、搾り出すような声を出した。
「英子……? どうし」
「どうして、アンタなんかが……!」
 目の前が真っ暗になった気がした。
 言い放った英子は、初めて話しかけてくれた英子の面影は無く、溢れんばかりの憎悪を瞳に湛え、わたしをにらみつけていた。
「あ……」
 耐えられなかった。
 足がすくみ、体は震え、その場から逃げたい気持ちが溢れた。
「わた、わたし……そんな……」
「今すぐ辞退してきなさいよ……」
「辞退って、そんな……だって割り当てられて」
「アンタにそんな大役、できるわけないでしょうがッ!」
 英子のあまりにもの剣幕に後退ってしまう。
「ほら、早く行くわよ! アンタが姫様の側仕えだなんて、絶対何かの間違いなんだからッ」
 英子は怯えるわたしの腕を掴み、強引に由宜乃神社へと引きずっていった。
「いいえ、間違いではございません」
 すごい剣幕でわたしの姫様の側仕えが間違いだとまくし立てる英子に、由宜乃神社の宮司さんはいたって冷静で応対した。
 英子は顔面を蒼白にし、言葉を失ったかのように黙り込んだ。
「あ、あの!」
 英子のあまりの様子に自分では役者不足だと感じ始めていたわたしは勇気を振り絞って宮司さんに声を掛けた。
「なんでございましょうか」
「このお役目は、辞退することって……可能なんでしょうか」
「申し訳ございませんが、夏の大祭に関することは総て金剛様が総て執り仕切られていることですので、わたくしどもにおっしゃられても……」
 宮司さんのその言葉に英子は再びまくし立てた。
「じゃ、じゃあ。金剛さんに言いに行けばいいのよ! ほら、みえ。金剛さんにできません、って言って来なさいよ!」
 掴みっぱなしの英子の手はわたしの手首をぎりぎりと握り締めた。
 痛みに眉間にしわを寄せていると、後ろで砂利を踏みしめる音が聞こえた。
「僕に何か用かい?」
「金剛さんっ!?」
 金剛さんのいきなりの登場に英子は掴んでいた私の手首を離した。
 離された手首を見てみると、掴まれていた周りがうっすらと赤く染まっていた。
「やあ、君は……確か阪上英子さん、だったね」
「あ、アタシのことを……!?」
「ああ、もちろん。夏の大祭に関わる総ての人のことは把握しているよ」
「じゃ、じゃあ! もちろん、この子のこともご存知ですよね!?」
 英子はそう息まいて言いながら、わたしを金剛さんの方へと押した。
 金剛さんはふわりと微笑みながら頷いた。
「ああ、もちろん。兵頭みえさん、だね」
「そう、そうです! この子、何かの手違いで姫様の側仕えのお役目を与えられたんですけど、この子には無理なんです!」
 英子の言葉に金剛さんはわたしを見つめた。
「そうなのかい?」
「えっと、あの……」
「無理なんですッ!」
 言葉をさえぎるように英子はそう言い切り、わたしの背中をつついた。
 無理だと言え、ということなのだろう。
「む、無理です……」
 英子は引っ越してきて初めてできた友人だった。
 わたしにとっては、一番大事な友人であり、親友だった。
 そんな大切な存在を手放すようなことはしたくなかった。
 金剛さんはわたしの言葉に少し考えるそぶりを見せた。
「……しかし、これはもう決まってしまったことだしな。そうなると、また抽選し直しということになるけれど、それでもいいかい?」
 金剛さんは言葉の後半は英子を見つめていた。
 その言葉に英子は顔を青ざめ、唇をふるふると震わせていた。
「……今のままで、かまいません……」
 その声は英子が出しているとは到底思えない蚊の鳴くような声だった。
 英子の返事に金剛さんは満足げに頷き、わたしを見た。
「それじゃあ、兵頭みえさんはちょっと残ってもらえるかな? 側仕えについて説明しておかなきゃいけないこともあるし、一応同意書にサインしてもらわなきゃいけないからね」
 金剛さんの言葉に英子は目を見開いて驚き、わたしは首をかしげた。
「ああ、阪上英子さんは先に帰ってもらって大丈夫だよ。兵頭みえさんはちゃんと僕が送り届けておくから」
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてわたしだけ……?」
 そう食って掛かろうとした。
「……わかりました。みえのこと、よろしく……お願いします」
 英子はか細く声を出し、金剛さんにお辞儀をして境内の入り口へと引き返していった。
 英子にしては珍しいくらいにおとなしく、静かに引き下がっていった。
「英子……?」
「兵頭みえさん、明日から姫様の側仕えに来てもらって良いかな? 学校やお家の方には僕から言っておくから安心して」


 翌日から夏の大祭に向けての準備が本格的に始まった。
 と言っても、姫様の側仕えのわたしは姫様の傍らで控えているだけだった。
 傍らは傍らでも、姫様のいる部屋の隣の部屋で姫様に用事を頼まれるまで待機して、頼まれたらその用事をこなして、再び待機するというそれだけのお役目だった。
 しかし、四六時中ついていけないらしく、家に帰れる日はほとんどなかった。
 あるとき、姫様に頼まれ夏の大祭で着る予定の衣装を運んでいるとき、スタッフ用に張られたテントの中から話し声が聞こえてきた。
 聞こえてきた声はかつて一番親しくしてくれた友人――英子をはじめとした祭りのスタッフたちの声だった。
「あの子、ここに来てそれほど経っていないくせにどうやって姫様の側仕えなんて大役、手にしたの」
「ちょっと調子に乗ってるよねー!」
「っていうか、あのごわごわ頭で釣り合うとか思ってるわけ!?」
「さーあ? 自分の顔、鏡で見たことないんじゃなーい?」
 高らかに笑いあう声がテントの中から漏れてくる。
 わたしは血の気がさがり、ふらふらと後退ったそのとき、誰かにぶつかってしまった。
「危ないよ」
「ご、ごめんなさ……!」
 謝りつつ後ろを振り返ると、そこには金剛さんがいた。
 驚きのあまりバランスを崩して倒れそうになるわたしを金剛さんは受け止めてくれた。
 そして、ふんわりと花が開くように微笑み、どうしたのかと問いかけてきた。
 金剛さんの微笑みに安心したのか、わたしはついに感情を抑えきれなくなってしまい、あふれ出た涙が頬を伝った。
「ここでは気づかれてしまうな。少し落ち着ける場所に移動してもいいかい?」
 金剛さんの優しい言葉にわたしはただ溢れる涙のままに頷くことしかできなかった。


 金剛さんに連れてこられた場所は駅と反対の方向に位置している小高い丘に建てられている濃紺の洋館だった。
 わたしは金剛さんに案内され、屋敷の応接間へと通された。
 そして、その手でわたしの手を取り、ソファに座るようエスコートされた。
「ここは僕が生活している屋敷なんだ」
 ふかふかのソファに居心地の良さを感じていると、そう告げられた。
「ここ、が……?」
 金剛さんは微笑みながら頷き、おもむろに金剛さんは応接間のテーブルの上に置かれた銀製のベルを鳴らした。
 すると、応接間のドアをノックされ、黒いワンピースに身を包んだ女性がワゴンを押して現れた。
 そして、テーブルの上に焼き菓子を乗せた銀皿と熱々の紅茶が注がれたティーカップが乗せられた。
「ありがとうございます……」
 まだ震える声でお礼を言い、自分の前に置かれたティーカップに手を伸ばし、紅茶を口に含んだ。
 喉を通っていく紅茶が気持ちをやわらげてくれた。
 ほうと一息、安心するように息を吐いた。
「落ち着いたみたいだね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「涙の理由はやっぱり先ほどの……?」
 わたしは言葉無く頷いた。
「そうか……」
 金剛さんはそう重たく頷き、しばらく考えるそぶりを見せたと思えば、真剣な面持ちになり、わたしを見つめた。
「僕が護ってあげるよ」
「……え?」
 今、耳に届いた言葉が信じられなかった。
「祭りが終わるまでの短い間だけだけどね」
 金剛さんはそうやわらかく微笑みながら付け足した。
 わたしは呆然と金剛さんの顔を見つめることしかできなかった。
「まぁ、勿論。君が望むのなら……だけれども、どうする?」
「お願い……します」
 大事な友人が離れてしまった今、わたしには目の前で微笑むこの人しか信じられる人がいなくなってしまった。
 姫様の側仕えというお役目を頂いてからほぼ家に帰れず、家族に癒されるということもなかったわたしは、知らず知らずのうちに頼れる人を探していた。
 こんな風に頼るのは卑怯なのかもしれない。
 それでも、抗う力はもう残ってはいなかった。
 その日からわたしの傍らにはいつも金剛さんがいるようになった。
 初めは今まで以上に風当たりが冷たくなったけれども、それも初めだけで徐々に静かになっていった。
 わたしの知らない場所で金剛さんが手を回してくれたのだと宮司さんがこっそり教えてくれた。
 それと同時に、何故かわたしが姫様の代わりに、衣装合わせに出向くようになった。
 不思議に思い、金剛さんにどうしてか聞いてみると、君にもこの体験をさせたくて、と微笑んでいた。
 衣装合わせの帰り、金剛さんからのお誘いでちょっとデートをすることになった。
 デートと言っても、近所の公園のベンチで座って話すだけのちょっとした寄り道なのだけど。
「側仕えは慣れた?」
「はいっ」
「それはよかった」
 金剛さんは一息安堵のため息をもらしたかと思うと、いたずら気に微笑んだ。
「僕の秘密を教えてあげようか……?」
 不意に金剛さんは真顔になり、覗き込んできた。
「実は、人を食べるんだ」
「……えっ?」
「……君を食べちゃっても、良いかい?」
「え……?」
 金剛さんの言葉に面食らっていると、こらえ切れないように吹き出した。
「くはっ……ははははは!」
「え、え、え?」
 いきなり笑い出しされてしまい、わたしはなんだか恥ずかしくなってうつむいた。
「くく……冗談だよ」
 金剛さんの言葉を受けて、勢いよく顔を上げた。
「もう! 本気にしちゃったじゃないですかっ」
 かち合った視線は、不意に金剛さんから離された。
「僕なんかが本気になっても君に迷惑をかけるだけだね……」
「そ、そんなこと……!」
 違うと言いたくて、わたしは思い余って立ち上がってしまった。
「じゃあ、いいのかい?」
 そらされていた視線が再び戻ってくる。
 金剛さんの煌めく瞳に吸い込まれた。
「……は、い」
 吐息を吐き出すように言葉がこぼれた。
 金剛さんは嬉しそうに顔をほころばせ、立ち上がった。
 金剛さんは顔を寄せてきた。
 吐息が近づいてくる。
 体が強張り、ぎゅっと目を閉じた。
 一息置いた後、おでこに何かが触れる感触がした。
「あれ……?」
 言葉と同時に目を開けると、金剛さんはくすりと笑った。
「続きはまた今度、ね」


 そんな甘く慌しい日々はあっという間に過ぎ去り、気がつけば夏の大祭前夜になっていた。
 前夜祭は神社の境内で篝火が焚かれ、翌日の大祭に備えての神降ろしが儀礼的に行われる。
 神降ろしには、姫様が舞台に立って神降ろしの舞を舞うことになっている。
 神降ろしをすると姫様は意識を失うと言われていて、街の住民たちはみんなこれを見に来るらしい。
 本当は側仕えの仕事があったはずなのだけれども、金剛さんが特別な計らいで免除してくれた。
 そして、満天の星空の下、わたしは金剛さんに連れられて前夜祭を抜け出した。
 抜け出した先は、姫様の側仕えで使用した部屋だった。
 ここなら、誰にも邪魔されないから。
「静か、ですね……」
 遠くからお囃子が聞こえてくるけれども、音に霞みがかかったようにメロディは追えない。
「この場所は僕と君だけしか入れないようになっているからね」
 そう言いながら金剛さんは抱きしめてきた。
「ずっと言おうか迷っていたんだけど……」
 金剛さんの声が頭の上から聞こえる。
「僕に君の全てをくれないかい?」
 今、聞こえた言葉が信じられなかった。
 感動のあまり、反応できていないわたしに金剛さんは困惑気味に覗き込んできた。
「だめ、かな……?」
 わたしは金剛さんの胸に擦り寄るように首を振った。
「う、嬉しいです……!」
 金剛さんは満面の笑みを浮かべ、一度わたしから離れた。
 不思議に思っていると金剛さんはわたしの傍らに立ち、わたしの左手を取った。
 そして、ポケットからシルバーリングを取り出した。
「このリングは特別なリングなんだ。ほら、見てごらん。内側に文字が彫られているだろう?」
「ほんと、だ……」
「特別なリングだからこそ、特別な君に……」
 そう伝えながら左手の薬指に内側に文字が彫られた細身のシルバーリングをはめた。
 そして、耳元で唇を寄せた。
「イタダキマス……」
 金剛さんの言葉が耳に届いた。
 ――ぷつん。




 遠い昔、この地方は集落だった。
 集落では、年に一度の祭事に豊穣の女神が降りてきていた。
 たまたま山から食事をしに降りてきたときに居合わせた食人鬼である金剛は女神を一目見た瞬間に恋に落ちた。
 金剛は棲家を山の中から村にほど近い山のふもとに移し、再び女神が現れる日を待った。
 一年後の同じ日、集落の祭事が行われて女神は再び姿を現した。
 祭事は滞りなく進み、女神が天上へと帰ろうとしたそのとき、金剛は女神を攫い去った。
 自分の棲家へと女神を連れてきて金剛は女神に自分の想いをぶつけた。
 だがしかし、女神は神にはそのような感情を持ち合わせていないと冷たく言い放った。
 金剛は何故人間に豊穣を与えるのかと問うと、乞われるからだと女神は答えた。
 そして光の粒に包まれて女神は消え失せた。
 愕然とした金剛は女神を忘れようとするが、忘れることはできなかった。
 金剛は集落にいる娘で女神の姿かたちに似た娘を攫い、共に生活をするという奇妙な日々を始めた。
 人を食する鬼に初めは怯えていた娘も食するがために秀でた美貌を持った金剛にいつしか心を開き始め、好きあう仲へと発展した。
 だが皮肉なことに、金剛は食人鬼であるが故に攫ってきた娘の生命が糧となっていた。
 それと同時に攫われた娘は徐々に衰弱していった。
 命のともし火が消えるのも時間の問題だった。
 ある日、金剛があまりの静けさに目を覚ますと、隣にはからからに乾いた娘の亡骸が転がっていた。
 金剛は嘆き悲しんだ。
 金剛の嘆き悲しむ心は大地を揺るがした。
 大地震に恐怖した集落の住民たちは金剛に集落と生娘を捧げ、金剛は人間として集落を治めるようになった。


 所詮、娘は生に限りある存在で、金剛はそんな娘を捕食する存在でしかなかった。


満足していただけたら、ワンクリックして投票お願いします

後書キ | 目次

Copyright(c) 2008 all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-